総統文化奨シリーズ:羅慧夫(Dr. Samuel Noordhoff)さんは人とその心救う
「財団法人羅慧夫顱顔基金会(Noordhoff Craniofacial Foundation)」の創設者である羅慧夫(Dr. Samuel Noordhoff)さんがこのほど、第9回総統文化奨(賞)を受賞した。同基金会は口唇口蓋裂の患者を支援する組織。90歳の羅慧夫さんは台湾で奉仕して40年となる。1959年に宣教師として来台。到着した翌日から台湾語を習い始め、患者を「この外人は台湾語を話す」と驚かせた。羅慧夫さんは、馬偕記念病院(台湾北部・台北市など)、長庚記念病院(台北市・新北市など)の院長を歴任し、台湾における医療の基礎を築いた。
羅慧夫さんは来台前、妻と共に台湾に行くべきかどうかを神に問うた。そして、「ノーと言う理由が無いことに気付き、すぐに台湾にやって来た」という。羅慧夫さんは一家で20日あまりの船旅を経て台湾にやって来た。彼を迎えたのは「傾むき荒れ果てていた」馬偕記念病院。破産に瀕していたという。しかし羅慧夫さんは固い信仰により神の指示と愛を信じていた他、適した人材が見つかったこともあり、馬偕記念病院を再び大きく立て直し、医学センターとしての基礎を築いた他、台湾における医療の歴史上、初めての記録を多く打ち立てた。
羅慧夫さんは台湾の多くの子どもたちが小児麻痺のため、両足を引きずりながら地面を這って移動しているのを見てとてもつらく感じた。当時海外にはすでに小児麻痺のワクチン、不活性化ポリオウイルスワクチンがあり、羅慧夫さんは万難を排して米国から輸入。さらには小児麻痺リハビリセンターも設立し、その後1966年には台湾初の口唇口蓋裂治療センターを開設した。
重傷患者に対する治療のニーズを実感した羅慧夫さんは台湾初のICU(集中治療室)を設置。また、当時の台湾の建物は木造が多く、火事による死傷者の状況が深刻だったことから、1971年には台湾初のやけど治療センターも設立した。
長庚記念病院で院長を務めていた時期には「羅慧夫顱顔基金会」を設立した他、多くの医師を海外での研修に派遣し、台湾における医療技術の向上に努めた。貯金は決して多くはなかったが、「羅慧夫顱顔基金会」の設立には私費300万台湾元(現在のレートでは約1,118万日本円)を寄付した。
羅慧夫さんの「弟子」で、現在は台北医学大学附属病院の整形外科で主治医を務める陳国鼎さんは、羅慧夫さんが後輩たちに最も尊敬されている特質の一つは、「患者を自分の家族のように見ていること」だと話す。羅慧夫さんにとって最も重要なのは患者。陳国鼎さんはかつて、自分が執刀医を務めた手術で、羅慧夫さんにやりなおしを命じられたという。羅慧夫さんは、「縫い目がずれすぎている。縫い直せ」と指示。陳さんがどれだけのずれかとたずねたところ、わずか0.5㎜ のずれだった。羅慧夫さんは、一つの手順で1のずれがあれば、十の手順でずれも10になるとして、医師にとって「差の無い」0.5㎜ が患者の一生に関わると信じているのである。
羅慧夫さんは公平と正義、思いやりの心を病院の外の人々にも広げた。1969年には東南アジア初の自殺予防センターを設立。同センターはその後、「命のホットライン」となり、不安を抱える人たちが相談できるルートとなった。1970年前後には山地での巡回医療サービスもスタート。その範囲は宜蘭県(台湾北東部)、桃園市(同北部)、烏来(同北部・新北市)、花蓮県(同東部)、屏東県(同南部)に及んだ。
『愛、補人間残缼-羅慧夫台湾行医40年(愛が世界の欠損を補う-台湾で40年間医療奉仕に努める羅慧夫)』(梁玉芳著)によれば、羅慧夫さんは自動車事故で顔に重傷を負い、形成外科による治療・再建が必要な患者を多く見てきたことから、オートバイの運転にヘルメットの着用が義務付けられていないことは危険すぎると訴え、政府が強制的に着用を義務付けるよう提言した。
また、同書が紹介するエピソードには以下のものもある。かつてある人が、「羅慧夫さんは本当にえらい。米国で開業すれば大もうけできるチャンスを投げ打って台湾に人生を捧げている!」と称えた。これに対し、羅慧夫さんは、「我々は台湾と台湾の人々を愛している。そしてより重要なのは、これが神のご意志だということだ。神の愛に比べたなら、お金など何でもない。我々が貯めるべき富は天にあるのだ」と答えたのだという。
1999年、羅慧夫さんは引退。長庚記念病院を後にして米国に帰国した。最後の手術に入る前に羅慧夫さんは、台湾で40年間、医師として働く機会を神が授けたことに感謝したという。
米国の小さな町からやって来た医師として羅慧夫さんは、神は自分が夢にも思わなかったような経験を与えてくれたと話す。「台湾の人たちは素晴らしい思い出と温かい心をくれた。家族もみな台湾での日々と台湾の人たちが大好きだった。台湾にこれほど長くいたことを後悔したことはない」と。
「もう一度選べるとしたら?」という質問に羅慧夫さんは、「同じことをする。そしてもっと上手にやろうと努力するだろう」と答えている。羅慧夫さんは後進の指導に対する熱い想いを胸に、「若い医師たちにアドバイスせよというなら、医者の道を選んだのなら最高の治療を行えるよう全力を尽くせと言いたい。今、あなたがしていることは、患者に幸せをもたらすのだということを忘れるな」と話している。
Taiwan Today:2017年11月14日
写真:羅慧夫氏提供、中央社
「財団法人羅慧夫顱顔基金会(Noordhoff Craniofacial Foundation)」の創設者である羅慧夫(Dr. Samuel Noordhoff)さん(写真)が第9回総統文化賞を受賞。台湾で40年間、医療活動に従事し、台湾における医療の基礎を築いた。