古跡が博物館に変身、台湾初の写真博物館・国家撮影文化センターの今昔

古跡が博物館に変身、台湾初の写真博物館・国家撮影文化センターの今昔

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 台湾初の写真に関する博物館、国家撮影文化センター台北館が台湾北部・台北市の忠孝西路と懐寧街の交差点に完成し、25日にプレオープンを迎えた。日本統治時代に建てられた「大阪商船株式会社台北支店」を前身とする建物であり、その修復と計画の過程は古跡を再生・再利用するにあたって参考とすべき指標となった。

 今回の修復計画に参与した建築学者、李乾朗さんは、古跡を再生・再利用しようとする意図は善良なものだとしながらも100年前と現在との違いを指摘する。通常、元の建物の機能をそのまま維持することは難しく、用途を変えるのならば大幅な改造が不可欠となる。今回の国家撮影文化センター台北館を例にとると、元の建物は単純な商業利用を目的としたもので主に自然採光となっていたが、写真作品が最も恐れるのは光であるため何らかの変更が必要だった。また、写真の保存には空調面での要求も高く、恒温・恒湿のニーズも合わせて考慮すべきで、これらはみな計画段階で克服しなければならない難題だったという。

 台湾の人の多くは「大阪商船株式会社台北支店」という日本語の名称に馴染みがない。しかし戦後にここを使用した「公路総局」、「台湾省公路局」と聞けばすぐにこの建物を思い出す人もいるだろう。84年の歴史を持つこの古い建物は台北の中心部の繁栄とその変貌に立ち会ってきたのである。

 国家撮影文化センター公式サイトの紹介によると、元の建物は日本の著名な建築家、渡辺節氏が設計したもので1937年に完成。本体は鉄筋コンクリート造3階建ての近代的なビルで、屋上の角に伝統的な塔屋があることから東西文化が並ぶユニークなスタイルとなっている。

 戦後国民政府が台湾を接収すると1946年には公営の台湾航業公司がここに入居し、この建物は「台航大楼」と名付けられた。同社は1958年に建物を台湾省公路局に譲渡。ビルは「公路大楼」に改められ、その後55年間使用された。

 李乾朗さんは、公共の建物を人々に利用してもらうことは現代化された国が行うべきことだと訴える。企業集団に売却してビルを建てるだけならば政府にとっては直接の収入となるが市民にとっての利益としては限りがある。李乾朗さんは、ラジオ放送局の中国廣播公司があった土地に建てられ、高級マンションとして知られる「帝宝」を例に、ラジオ放送に関する博物館に改造されていたならば市民は今も足を踏み入れて参観出来たはずだと話している。

Taiwan Today:2021年3月25日

写真提供:国家撮影文化センター、中央社