陳水扁総統「全国民のための清明節」
陳水扁総統は4月3日、自身のメールマガジン「阿扁総統電子報」において、「全国民のための清明節」と題する文章を発表した。以下はその全文である。
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4月4日は清明節です。私はいつものように台南官田の故郷に帰って墓参りをします。おそらく読者の中には今年の清明節が4月4日であることに、そして清明節は故・蒋介石総統の逝去記念日でもある4月5日ではないかと、疑問を抱く方がいるかもしれません。しかし、実は異なるものなのです。
清明節は端午節や中秋節と同じように、24節気の一つであり、正確な日は「冬至」の105日後です。民国24年(1935年)に内政部が民間習俗である清明節を「民族掃墓節」(墓参りの日)と定めました。これはわが国唯一の節気によって制定された国定休日でした。民国64年(1975年)に蒋介石総統が逝去したとき、当時の国民党政府は蒋総統を記念するため、「記念日および祭日実施弁法」の中に、「先総統蒋公逝去記念日」を「民族掃墓節」に実施すると定めました。
実際には、故・蒋介石総統が逝去した日は新暦の4月5日であり、「清明節」はその年の旧暦との関係で、新暦の4月4日、5日、6日のいずれかとなり、両者の日はきわめて近いものですが、関連性はありません。しかし、過去30年間にわたって、清明節と故・蒋介石総統の逝去記念行事が合併して行われてきたため、一部の人々に二つの祭日が同じ日であると誤解をあたえてきました。このような強権時代の個人崇拝と民俗記念日を結びつけるやり方は、脱党国(党イコール国)体制化と脱強権化の理念に背くものであるだけでなく、同時にかなりの争議を呼び起こしました。このため、内政部では昨年に改正法案を提出し、「故・蒋介石総統生誕記念日および逝去記念日」の規定を取りやめ、国民のための清明節にするため、国民社会に戻しました。
清明節はわれわれの祖先に思いを馳せ、丁重に先祖を祀る日です。台湾人の土地に対する気持ちは、祖先に対する感謝と尊敬の念が大きな一部となっています。先人は唐山(中国大陸)から海を渡って台湾にやってきた特殊な歴史と文化背景があります。このため、民間では「中国の祖父はいても、祖母はいない」(有唐山公、無唐山媽)と言われるように、エスニック・グループ間の境界線はすでに不明確となっています。多くの人々の祖先が中国からやって来ましたが、文化、生活形態、習俗、歴史等、いずれも中国とかなりの関連性があるのは否定できない事実です。
しかし、台湾は海洋国家として、違いを尊重し、多元性を包容することは、この土地の上のすべての住民の共通理念であり、原住民(先住民)、ホーロー、客家(ハッカ)、外省、新住民がいずれも共生繁栄の姿勢で、新しい運命共同体となるべきなのです。米国やオーストラリアはいずれも移民社会であり、同じく最初はイギリスの文化と伝統を持っていましたが、これが後の新たな時代に彼らが国家の自主性と独立の事実を追求し、自己の文化特色を発展させる妨げにはなりませんでした。同様に、台湾の2,300万国民も同じ度量で胸を開いて手を携えて努力し、自己のために次の輝かしい歴史の1ページを書き下ろすべきなのです。
丁重に先祖を祀り、源は忘れてはなりません。過去、人々はお互いを分けることなく、台湾のこの土地が益々栄え、温かさに満ちるように、同じ気持ちで奮闘してきました。今、政権交替という歴史の分水嶺に立ち、ただ感謝の気持ちと謙虚な姿勢で原点に戻り、国民のパワーが台湾の再出発を導くことを期待しています。
【阿扁総統電子報 2008年4月3日】