2月11日、日本会議福岡による『日本の建国をお祝いする集い~美しい日本の再建へ~』が開催された。同大会にて戎総領事が「台湾人が尊敬する日本精神」を題として講演を行った。講演内容は下記のように述べた。
台湾人が尊敬する日本精神
戎 義 俊
「日本の建国をお祝いする集い」
2016年2月11日(建国記念の日)
主催:日本会議福岡
~はじめに~
中国の古典「漢書」に「礼失求諸野」(礼失われてこれを野に求む)というものがあります。本日のテーマ「日本精神」とは、もともと日本人が持ち合わせた素養と気質でありますが、残念ながら、今日の日本社会においては次第に失われつつあるものでもあり、それはむしろ野の外国の台湾で大事にされているものではないかと常々思っています。
台湾では「勇気」「忠誠」「勤勉」「奉公」「自己犠牲」「責任感」「遵法」「清潔」といった精神を「日本精神」と呼び、好んで用いられています。日本統治時代にこれらの精神を台湾人が学び、ある意味で台湾で純粋培養されました。それは後に、自分たちの素養や気質として、誇りを持って「日本精神(リップンチェンシン)」と呼ばれるようになりました。いわば、台湾に根付いた武士道であります。こういう精神があったからこそ、戦後の中国文化に完全に呑み込まれることなく、現在の近代社会が確立されたと言えるのではないかと思っています。
2011年3月11日に発生した東日本大震災において、日本人は秩序を失わず整然と行動し、あの悲惨な混乱の中においてさえ、他人を思いやる心を失いませんでした。これが他の国であれば略奪や暴動が起きても不思議ではない状況であり、世界は日本人の品格の高さに驚かされました。昔から日本社会においては「暗黙知」(暗黙のうちに了解する術)が出来上がっており、言われなくてもしっかり社会秩序を守る潜在意識が身に付いているのです。
日本の評論家・作家の日下公人氏は、自著や講演の中で「暗黙知」について何度も触れています。「人間社会には『隠された前提(価値) 』があるということをかつての日本人は知っていた。今も知っている日本人はいる。それが『暗黙知』である。」「東日本大震災を契機に、日本は大きく変わり始めた。これまで日本の舵取りをしていた人の信用失墜にともなって、庶民のパワーが上昇してきた。庶民の世界は昔より理屈より常識、理論より実際、理想より現実で、時代がそのようにきりかわっていくと、これまでの時代がいかに思い込みだらけであったかが、見えてくる。学校で教わったことにかわって、子供の頃、父母、祖父母から聞いた話が耳に復活してくる。日本人の暗黙知が蘇ってくる。漢語や英語ではうまく表現できないその気持ちの盛り上がりは地下のマグマが上昇してきたように感じられる。」と述べています。「暗黙知」とは日本人の庶民の世界にあるものであり、外国人には理解しがたいものでありますが、私は「暗黙知」と「日本精神」、そして台湾で尊ばれる「芝山巌精神」の根源は同じであると考えています。
「礼失求諸野」――失われつつある日本人特有の尊い価値観「日本精神」を台湾に尋ね求めなければならないのではないか・・・そういった思いで現在の台湾を訪れる日本人は少なくありません。本日は、日本精神を体現して台湾のために尽くされた日本人、「八田與一」「六氏先生」をご紹介する中で、台湾から見た日本人や日本精神の素晴らしさをお伝えしたいと思います。
一、八田與一が台湾に残した功績
(一)八田與一といっても日本では誰もピンとこないでしょうが、台湾では嘉義台南平野15万ヘクタールの農地と60万人の農民から神の如く祭られ、銅像が建てられ、ご夫妻の墓が造られ、毎年の命日には農民によるお祭りが行われるほど、その功績と精神が後世に伝えられている人物です。
八田氏が造った烏山頭(うざんとう)ダムとともに永遠に台湾の人民から慕われ、その功績が称えられるでしょう。
(二)八田與一氏は1886年に石川県金沢市に生まれ、第4高等学校を経て1910年に東大の土木工学科を卒業しました。卒業後まもなく台湾総督府土木局に勤め始め、56歳で亡くなるまでほぼ全生涯を台湾で過ごし、台湾のために尽くしました。1895年、日本の領土になったころの台湾は人口約300万人、社会の治安は乱れ、アヘンの風習、マラリアやコレラなどの伝染病等の原因で、きわめて近代化の遅れた土地であり、歴代3代の台湾総督は抗日ゲリラ討伐に明け暮れた時代でありました。第4代の児玉源太郎総督が民政長官の後藤新平氏を伴って赴任した1898年ごろに台湾の日本による開発が初めて大いに発展しました。
(三)八田與一氏が台湾に赴任するのは、後藤新平時代が終了した1906年以降のことです。後藤新平時代に台湾の近代化が大いに進んだとはいえ、以前があまりに遅れていたこともあり、八田氏が精力を傾けることになる河川水利事業や土地改革はまだまだ極めて遅れていました。台湾に赴任してまもなく、台北の南方、桃園台地を灌漑する農業水路の桃園大圳の調査設計を行い1916年に着工、1921年に完成しましたが、灌漑面積は3万5千ヘクタールでありました。これが今日の石門ダムの前身であります。
(四)1930年に当時東洋一の灌漑土木工事として、10年の歳月と(当時のお金で)5,400万円の予算で嘉南大圳と烏山頭ダムの工事を完成させました。この工事の完成によってほとんど不毛のこの地域15万ヘクタールに毎年8万3千トンの米と甘蔗(かんしゃ)=サトウキビ=その他の雑作が収穫されるようになりました。この事業を完成させた時の八田氏はなんと44歳の若さであり、嘉南大圳の完成は世界の土木界に驚嘆と称賛の声を上げさせ、「嘉南大圳の父」として60万の農民から畏敬の念に満ちた言葉で称えられました。
二、「日本精神」を体現した八田與一
いま、私たちの住む人類社会は未曾有の危機に直面しています。2015年の初め「イスラム国」が二人の日本人の人質を殺害したニュースが世界をかけめぐり我々は驚愕しました。
人類社会がいま直面している恐るべき危機状態を乗り切っていくために、絶対必要不可欠な精神的指針は、「日本精神」ではないでしょうか。ところが誠に残念なことに1945年以後の日本において、このような代え難い日本精神の特有な指導理念や道徳規範が全否定されました。日本の過去はすべて間違っていたという「自己否定」な行為へと暴走していったのです。日本の過去には政治、教育や文化の面で誤った指導があったかもしれませんが、また、素晴らしい面もたくさんあったといまだに信じて疑わないと李登輝元総統は述べています。台湾で最も愛される日本人の一人、八田與一が日本精神の表れです。
(一)八田與一氏は技術者として抜群に優れていたばかりでなく、人間としても優れていました。肩書や人種、民族の違いによって差別しませんでした。天性ともいえるかもしれませんが、これを育んだ金沢という土地、いや日本という国でなければかかる精神はなかったと思います。八田氏によって表現される日本精神を述べなければなりません。何が日本精神であるか。八田氏の持つ多面的な一生の事績を要約することによって明瞭になります。
(二)第一のものは日本を数千年の長きにわたって、根幹からしっかりと支え
てきたのは、そのような気高い形而上的価値観や道徳観だったのではないで
しょうか。国家百年の大計に基づいて清貧に甘んじながら未来を背負って立
つべき世代に対して「人間いかに生きるべきか」という哲学や理念を八田氏
は教えてくれたと思います。「公に奉ずる(滅私奉公)」精神こそが日本及
び日本人本来の精神的価値観であるといわなければなりません。
(三)第二は伝統と進歩という一見相反するかのように見える二つの概念を如
何に証明し、解決していくべきかを考えてみます。現在の若者はあまりにも物質的な面に傾いているため、皮相的な進歩にばかり目を奪われてしまい、その大前提となる精神的な伝統や文化の重みが見えなくなってしまうのです。
八田氏は嘉南大圳工事の進展過程では絶えず伝統的なものと進歩を適当に調整しつつ工事を進めています。三年輪作灌漑を施工した例でも、新しい方法が取られても、農民を思いやる心の中には伝統的な価値観、「公義」すなわち「ソーシャル・ジャスティス」には些かも変わるところがありません。まさに永遠の真理であり、絶対的に消え去るようなことはないものです。日本精神と言う本質に、この公義があればこそ国民的支柱になれるのです。
(四)第三は、八田氏夫妻が今でも台湾の人々によって尊敬され大事にされる理由に、義を重んじ、まことをもって率先垂範、実践躬行する日本的精 神が脈々と存在しているからです。日本精神のよさは口先だけじゃなくて実際に行う、真心をもって行うというところにこそあるのだということを忘れてはなりません。いまや、人類社会は好むと好まざるとに関わらず「グローバライゼーション」の時代に突入しており、こんな状況の中で、ますます「私は何者であるか?」というアイデンティティーが重要なファクターになってきます。この意味において日本精神という道徳体系はますます絶対不可欠な土台になってくると思うのです。そしてこのように歩いてきた皆さんの偉大な先人、八田與一氏のような方々をもう一度思い出し、勉強し、学び、われわれの生活の中に取り入れましょう。
※八田氏は1942年3月、陸軍から南方開発派遣要求として招聘されます。その年の5月7日、1万4千トンの大型客船「大洋丸」に乗ってフィリピンへ向かう途中、アメリカ潜水艦の魚雷攻撃に遭い、大洋丸は沈没。八田氏はこのため遭難してしまいました。享年56歳でした。妻の八田外代樹夫人は3年後、戦争に敗れた日本人が一人残らず台湾から去らねばならなくなった時に、烏山頭ダムの放水口に身を投じて八田氏の後を追いました。享年46歳でした。
※嘉南大圳の工事では10年間に134人もの人が犠牲になりました。嘉南大圳完成後に殉工碑が建てられ134人の名前が台湾人、日本人の区別なく刻まれていました。
三、「日本精神」はまだ台湾に息づいている
(一)東日本大震災の惨状の中でも秩序を守り、お互いを思いやる日本人の姿は世界各国から絶賛されました。こういった日本の精神文化がいまも生き続けていることを知って感銘を受けた人々が台湾には数多くいます。そのため、台湾からは様々な形で復興支援が行われ、義援金は最終的に世界で最多の250億円を超えました。これに日本の若い人たちが心から感謝し、台湾に関する意識が変わってきていると聞きます。といいますのも、当時の日本の民主党政権が震災支援への感謝広告をアメリカや中国の新聞には出すが台湾には出さないということになった際、日本の有志が「謝謝台湾計画」としてツィッターで募金を呼びかけ、多くの人の賛同を得て、日本からの感謝広告が民間の手によって台湾の『聯合報』と『自由時報』に掲載されたという経緯があります。民間のレベルでは、台湾人と日本人は心の絆で結ばれていたのです。
台湾人は日本に対し常に関心を持っており、台湾には、日本がもっと強くなり、国際社会の中でその存在感を示して欲しいと思っている人が大勢いると思っています。民主党に代わって政権を取り戻した安倍総理は、日台間で懸案の漁業協定の締結にこぎつけ、歴代の日本の政治指導者が見せてきた“中国第一”の意識にとらわれることがありませんでした。「フェイスブック」では台湾のことを「大切な日本の友人」と呼び、台湾からの支援に対する感謝を書き込み、多くの台湾人を心から喜ばせました。これらの事実はここ40数年にわたって日台間に存在した表面的な関係を具体的な形で促進したものと言えるでしょう。
中国の脅威に対抗し、日本と台湾の安全と繁栄を確保するためにも、日台の経済関係を安定させ、文化交流を促進し、日本と台湾の間の絆を強めていくことが不可欠だと私は考えています。「台湾と日本は運命共同体である」というテーマをどう認識し、どう発展させていくか。両国民が力を合わせ、取り組んでいってほしいと思います。
(二)昨年、台湾で『KANO』という映画が大ヒットしました。KANOこと嘉農は正式名称を嘉義農林学校といい、1931年、台湾代表として甲子園に初出場、準優勝を果たした野球部のことです。映画は史実を基につくられており、日本人、本島人(台湾人)、そして原住民からなるチームを一つにまとめ上げ、当初は弱小だったチームを生まれ変わらせた指導者・近藤兵太郎監督の立派な人物像が描かれています。近藤監督役を演じているのは、日本の俳優・永瀬正敏さんです。『KANO』を通して、日本の教育は素晴らしかったという事が分かりました。「日本の植民地時代を美化しすぎている」という批判もありましたが、台湾が中国に呑み込まれようとしている現在、台湾人が顧みるべきは、この映画で描かれているような「日本精神」であります。
「台湾人も日本人もこの映画を見るべきだ」と思い、私からおすすめさせて
いただきます。
(三)
1、台湾で言われている「日本精神」とは、即ち日本の「武士道精神」です。武士道はかつて日本人の道徳的体系でした。封建時代に武士が守るべきこととして要求され、教えられた道徳規範です。世界に誇る日本精神の結晶とも言うべき「武士道」が生まれたのは、日本で営々と積み上げられてきた歴史・伝統・哲学・風俗・習慣があったからこそだと、『武士道』を著した新渡戸稲造は言っています。しかし、現在の日本を悩ませている学校の荒廃や青少年の非行、凶悪犯罪の増加、失業率の増大、政治家の汚職、指導者層の責任転嫁といった国家の根幹を揺るがしかねない問題は、武士道という道徳規範が国民精神の支柱となっていた時代には見られなかったことです。
いまこそ声を大にして武士道精神を再評価しようといっているのは、日本人本来の精神的価値観をいま一度想起してほしいと切望するからです。民族固有の歴史とは何か、伝統とは何かということをもう一度真剣に考えてほしい。そうして、日本文化人の優れた精神性を外国人や今の若い日本の人々に知ってほしいと思います。
2、過去に半世紀にわたって日本と歴史を共有してきた台湾においては、いまだに「日本精神(リップンチェンシン)」が、勤勉や正直、約束を守る、などもろもろの善いことを表現する言葉として使われています。
台湾人が最も尊ぶ日本統治時代の遺産は、ダムや鉄道などの物質的なものではなく、常に「公(おおやけ)」を考える道徳教育などの精神的な遺産なのです。この日本が遺した精神的遺産を基盤に台湾社会は近代化を成し遂げ、発展したともいえ、今後も誇らしく受け継いでいくことでしょう。それが故に台湾人は、他のどの国よりも日本を愛し尊敬し続けているのです。
なぜ日本人は台湾でそれほどまでに尊敬されるのか。それは私益よりも公益を思う精神を持った人物(八田與一を含める)が育っていたからです。昔の日本には軍人勅諭や教育勅語などをもとにしっかりとした教育システムがあったからこそです。
3、1895年から1945年までの間に、台湾での教育は知識の伝授と共に、精神的な支柱として、嘘をつかない、不正なことはしない、自分の失敗を他人のせいにしない、自分のすべきことに最善を尽くすという「日本精神」が教え込まれました。「日本精神」の浸透によって治安が良くなり、安心して生活が出来る社会が実現したのです。今も戦前の台湾に郷愁を感じる多くの年配者、哈日(ハーリー)族と称される日本ファンの若者たち、世代を問わず多くの台湾人が日本に好意を寄せ愛し続けているという現実を、日本人はどう受け止めてくれているのでしょうか。
四、「芝山巌精神」とは
次に「芝山巌精神」に触れておきます。日本は1895年4月に台湾総督府を開庁し、そのわずか3ヵ月後の7月に、「教育こそ最優先すべきである」として台北郊外の芝山巖というところに最初の国語学校(日本語学校)「芝山巖学堂」を開校しました。現在では芝山巖は台湾教育発祥の地とされ、「六氏先生」の慰霊碑が建立されています。「六氏先生」というのは、匪族に襲われて殺された6人の日本人教師のことです。危ないことが分かりながらも決して逃げる事のなかった教師たちの責任感と勇気は、教育者としての模範と受け止められ、多くの人から敬われました。戦前の日本人は勇気と責任感を持ち、「六氏先生」はその象徴的存在でありました。この「勇気と責任感」こそ、日本人が台湾で尊敬された最大の理由であると私は思っています。「日本精神」というものを究極にするのならば「勇気と責任感」に集約されるのではないかと常々思うのです。教育に命をかけた「六氏先生」の話は台湾ではよく知られ、慰霊碑には今も献花が絶えません。
この事件から「命を懸けて教育にあたる」という意味の「芝山巌精神」という言葉が生まれたのです。まさしくこの「芝山巌精神」こそが台湾に生き続けている「日本精神」なのです。
「夫レ教育ハ建国ノ基礎ニシテ、師弟ノ和熟ハ育英ノ大本タリ」(夏目漱石)教育は国づくりの根幹であるのです。台湾の諺に「十年樹木、百年樹人」(樹木を育てるには10年、人を育てるには百年かかる)というものがあり、人材育成の重要性が語られています。昔の日本人が素晴らしかったのは、前の代の教育が良かったからではないかと思います。昔の日本人には、いわゆる儒教の精神が生きていました。特定の宗教というより、生かされていることを「お天道様」に感謝し、お天道様に恥じないように生きようという素朴な宗教心があったからこそ、昔の日本人は素晴らしかったのだと思います。
五、「暗黙知」と「日本精神」と「芝山巌精神」の根源は同じである
暗黙のうちに了解する術「暗黙知」。日本人特有の尊い価値観「日本精神」、命を懸けて教育にあたる「芝山巌精神」。
これらのどれもが、かつて日本の道徳的体系であった武士道の精神であり、その根源は同じだと思っています。日本には営々と積み上げられてきた歴史・伝統・哲学・風俗・習慣があり、国を支えた土壌には、神道や儒教、道教や仏教の教えが厳然と生きていました。前述の日下公人氏の言葉をお借りすれば、日本人は暗黙のうちに了解する術を得て、それは説明できないこと、理屈として立てられないことにも意味や価値があり得るという奥行き、複雑性や多様性をもたらしました。命は大切だが、それを懸けても成し遂げなければならないことが人生にはあり得ること。秀才ではない普通の庶民がこうした徳をわきまえていたのが日本人の歴史であるのです。
「暗黙知」と「日本精神」と「芝山巌精神」の根源は「心のあり方」にあるのではないでしょうか。現代においては見えにくくなっているかもしれませんが、日本人の長い歴史の中で、父母・祖父母から子や孫へ、それらは脈々と日本人の中に確かに受け継がれているものであると思っています。
~結びに~
「八田與一」「六氏先生」のほか、台湾のために自らを犠牲とした方々が大勢おられます。彼らに共通するのは「日本精神」を体現した人物であるということであり、その「日本精神」は今でも台湾に息づいています。台湾と日本、両国民が持ち合わせているこの「日本精神」こそが、両国を結ぶ目に見えない強い絆であるといえるのではないでしょうか。
日本人が「日本精神」を失わない限り、日本は世界のリーダーとして発展していくことができると私は信じています。日本の皆様には是非「日本精神」つまり「大和魂」を思い出し、取り戻していただきたい、そして日本にも台湾にも、この「日本精神」が脈々と継承され、そしてお互いにますます輝いてもらいたい・・・
「日本精神」という絆で結ばれた日台がこれからも切磋琢磨(せっさたくま)し、一層緊密な友好関係を築いていけるようにと強く願ってやみません。