台湾のSARS被害者たちが台湾のWHO加盟を日本で訴える
2003年、アジア一帯に猛威をふるった新型肺炎(SARS)は台湾もその被害を免れることはできず、346人の感染者と73人の死者を出した。今回、5月14日から開催されるWHO年次総会を前に、SARS被害者の蕭文慶さんと曹美鈴さん夫妻および看護にあたった新光医院(病院)看護士の王儷さんが台湾から来日し、5月8日に東京にある台湾資料センターで「日本台湾医人協会」の主催により「SARS被害者の声を聞く会」として記者会見を開き、SARSの恐ろしさと台湾のWHO加盟を日本がより一層支持してくれるよう訴えた。
今回来日したSARS被害者は夫妻でともに感染したケースで、2003年の3月に夫の実家のある彰化に帰る列車の中で感染した。車両の中で夫妻の後ろにいた若い2人の女性がしきりに咳をしていたのが気になっていた。夫人は自宅へ帰宅後、体調が思わしくなく、いくつもの病院に行ったがどこも単なる風邪と診断された。しかし、熱が下がらずに入院し、一週間後にSARSと診断され隔離のため転院した。夫は妻が隔離された後も病院に行ってつきそったり家に帰ったりしたために感染、夫妻と同居していた成人の息子も感染した。
夫の蕭文慶さんは記者会見で「本当の辛さはSARS感染だけではなかった。SARSに感染したことにより親戚や隣人からの偏見を受け、さらには1年半の間失業した。仕事が見つかっても後からSARS感染者だったとわかると解雇され、非常に辛かった。また、SARS感染が重症だった妻は退院後もからだはもとに戻らず、肺に影響が残り長距離の旅行や締め切った部屋に長時間いることもできない」と語った。
さらに蕭さんは「SARSは台湾に不幸をもたらした。なぜもっと早くWHOは台湾に情報を知らせてくれなかったのかと思うと残念でしかたない。医療に国境はなく、政治にも関係はないはずだ。WHOがその役割を果たしてほしいと期待している。自分の体験を伝えることでSARSは恐ろしいと理解してもらい、恐怖と伝染病という災害の回避を日本の皆さんにも手伝ってほしい」と訴えた。
また妻の曹美鈴さんは「入院中は毎日100粒以上もの薬を飲まなければならなかったし、2ヶ月あまりの入院から退院した後も7ヶ月、ずっと酸素をつけていた。自分がSARSに感染したことでその恐ろしさがわかり、その体験を伝えることにより、台湾のため、ひいては日本の皆さんのためにも台湾のWHO加盟が必要と理解してもらえたら嬉しい」と訴えた。
当時、SARS治療の専門病院の一つになった1600床を有する新光医院でSARS感染者の看護にあたっていた看護士の王儷さんは「当時はSARS擬似感染例も多く、SARS感染で死亡した73人中7名が医療関係者だった。SARS治療にあたる医療人員が不足しており、感染患者の一人で130キロもある男性を、私一人で世話をしていたが、看護の甲斐なく死亡したことが思い出される。亡くなった後、家族はモニターでその死を確認し、看護士3、4人で漂白剤を使い消毒をしたのが辛かった」と涙ながらに語った。
さらに王さんは「台湾の公衆衛生システムがしっかりしているお陰でSARS感染もこの程度ですんだ。流行性の伝染病は一国の問題ではなく人と人との交流が盛んな現在では国境もない。もし鳥インフルエンザが人から人に感染したなら想像もできない結果になる。台湾は公衆医療システムに力を入れているが、WHOに加盟していないため国内の情報だけでしか対応できない。台湾の国民と医療関係者を代表し、WHOがわれわれを尊重し、健康への権利を認めWHOに加盟できるように願っている」と強調した。
この記者会見を主催した大山青峰・日本台湾医人協会会長は「台湾はWHOに加盟していなかったためSARSではWHOからの情報が得られず、正しい手順・取り扱いができなかった。SARS発生当初、もしWHOが情報を提供してくれていたらこんなことにはならなかった。台湾はWHOに加盟できていないが、世界の中の一国として情報をオープンにしており、台湾の国内で得たSARS対策の情報は全てWHOに報告している。台湾は日本の隣国であり、国際間の協力が必要だ。SARSの過ちを二度と繰り返してはならない。鳥インフルエンザが人間に感染したら薬が不足するのは各国ともすでに予測されている。万一、今後台湾でSARSの再発があっても台湾には経験がある。しかし、鳥インフルエンザは経験も情報もない。台湾のWHO加盟に日本の皆さんが協力してくれるよう願っている」と力説した。
《2007年5月9日》