
中華週報1874号(1998.9.10)
今週の写真:「八二三砲戦」よりすでに40年、戦跡地を歩く若い兵士には過去のものだが、戦いの歴史的意義は大きかった
週間ニュース・フラッシュ
◆公共投資拡大による内需拡大案を閣議決定
蕭万長内閣は八月二十日、公共投資分として本年度(今年七月一日起算)予算に七百九億元(約二千八百億円)追加し、来年度予算の公共投資拡大幅を五百七十二億元(約二千三百億円)とする、公共投資追加予算を閣議決定した。本年度分追加予算は経済成長率を〇・三一%押し上げる効果を持ち、今年の経済成長率は五・一一%になる見込みとなった。 《台北『工商時報』8月21日》
◆フィリピンが一年後に台湾からの豚肉輸入を約束
台湾とフィリピンの経済協力会議のため八月十七日からフィリピンを訪れていた王志剛・経済部長は二十日帰国し、通関手続きの簡素化など多項目にわたって合意に達したが、そのなかには今後一年間台湾のブタに口蹄疫の発症例がなかった場合、フィリピンは台湾からの豚肉輸入を再開することも含まれていると明らかにした。 《台北『中央日報』8月21日》
◆国民党党営事業によるパラオホテルが開業
国民党事業管理委員会が一千万ドル投資してパラオのコロール島に建設したパラオホテルが八月二十四日に開業した。用地提供者のアラン・セイド上院議員はパラオ共和国の次期大統領と目されており、同ホテルの開業は両国の経済効果以外にも、今後の政治的意義も大きい。 《台北『工商時報』8月25日》
◆「大胆に大陸進出」は民進党の方針ではない
林義雄・民進党主席は八月二十四日、外国人記者団と会見し「年末立法委員選挙で三党とも過半数に達しなかった場合、選挙民が連立政権を選択したことになる」と政権参加への意欲を示すとともに、「『大胆に大陸進出』は許信良・前主席の個人的見解で党の政策ではない」と語った。 《台北『中央日報』8月25日》
◆新政党の民主聯盟が旗揚げ
昨年国民党を脱党した徐成焜・立法委員を党代表とする新政党「民主聯盟」が八月二十五日、台北で旗揚げした。徐代表は結党式において「年末の立法委員選挙で選挙区十五議席、比例区三~四議席を獲得する」と語った。民主聯盟の旗揚げは、選挙において国民党の票に影響を与えると見られる。 《台北『中国時報』8月26日》
◆国民党の国会改革案は二院制で国民大会廃止せず
章孝厳・国民党秘書長は八月二十五日、国会体制改革について「来年前半には憲法修正を完了させたい。党内意見は未調整だが、大筋としては一国会二院制をとって現有の体制強化を図り、国民大会を廃止することはなく、五権憲法の枠組みを維持する」と表明した。 《台北『中央日報』8月26日》
◆両岸交渉で中共はまず両岸分治の現実を認めよ
両岸交渉再開が近づいているなか、張京育・行政院大陸委員会主任委員は八月二十五日、「中共当局は両岸分治の現実を認め、武力による台湾への脅威を放棄し、理性的かつ実務的に協議を進行させるべきであり、それによってこそ双方が利益を得る成果があげられるのだ」と交渉への基本姿勢を示した。 《台北『中央日報』8月26日》
◆エルサルバドルで中華民国と中米六カ国の外相会議開催
エルサルバドルで八月二十五日、中華民国と中米六カ国の外相会議が開かれ、中華民国の胡志強・外交部長と江丙坤・経済建設委員会主任委員およびグアテマラ、ホンジュラス、ニカラグア、コスタリカ、エルサルバドル、パナマの外相が出席し国際関係強化を協議した。なお今回はドミニカ共和国とベリーズからも外交当局者がオブザーバーとして参加した。 《台北『中国時報』8月27日》
今週の焦点
台湾の自衛力強化こそ
東アジアの安定を維持する
中共「国家主席」江沢民の来日が、洪水を理由に延期となり、次に来るのはいつか、まだ分からないが、分かっていることが一つだけある。それはクリントン米大統領の示した「三つの不支持」(二つの中国と一中一台、政府を単位とする国際機関への参加、台湾独立を支持しない)を日本も表明せよと、北京が圧力をいっそう強めるということだ。なるほどこの「三つの不支持」は北京にとっては非常に都合がよいものだが、東アジアの安定と平和にとってはきわめて危険なものである。
だからクリントン大統領の表明は、米上下両院でも糾弾されており、それ以外にもワシントンの重要なシンクタンクである「ケイトー研究所」も8月24日、「台湾を自主防衛させよ」と題する報告書を発表し「三つの不支持」の表明は「台湾への武器売却も減少、あるいは完全停止する意向の示唆と受け取られる」として、その危険性を指摘していた。事実、北京はクリントン大統領から得た言質を盾に、国際間において台湾の孤立化と弱体化を猛然と進めようとしている。
同報告書は、米国が台湾への武器売却を減少あるいは停止するのは、「決して小事ではない」とし、「米国が台湾への武器売却を停止したなら、台湾は十年以内に北京の恫喝あるいは公然と軍事的脅威にさらされることになろう」と予測し、クリントン大統領の矛盾点を指摘している。クリントン大統領は一九九六年三月、北京が台湾海峡にミサイルを撃ち込むなどの挑発行動をとったとき、二組の空母艦隊を同海域に派遣し、北京の台湾に対する軍事行動を座視しないとの強い姿勢を示した。これは確実に、アジア太平洋地域の安定と平和を維持するのにきわめて効果的であった。ところが、それと同じ大統領が「三つの不支持」を表明し、「政治と外交において台湾を孤立化させることを北京に公約し、北京の圧力によって台湾の軍事的弱体化にも協力しようとしている。これは米国を中国(共)との開戦の危険に追い込むものだ」と論破して、「ワシントンはいま、相反する政策路線を進んでいる」と指摘しているのだが、まさに正論であろう。
この危険性を回避するため、ケイトー研究所の報告書は「クリントン大統領は北京の指導者に、米国は台湾が独立を選択するかどうかに言及する立場にないことを知らせ、同時に台湾への武器売却を停止するといったような公約は避けるべきだ」と提議している。さらに「台湾が中国大陸からの軍事侵攻を免れるために必要な措置は、台湾が自衛力を高めて北京に台湾侵攻の代価の大きさを認識させ、北京に武力発動を思いとどまらせることである」と主張し、結論を「米国は台湾への武器売却を増大させ、台湾に完璧な自衛能力を備えさせるべきである」としているのである。
北京は口では「平和統一」や「一国二制度」を叫んでいるが、本心は台湾を屈服させ、国際的にもすでに破綻した共産主義体制下に併呑するところにある。それゆえに、かれらはいまだ台湾への武力不使用を宣言しようとしないのだが、これが現実であってみれば、ケイトー研究所の提言こそ、東アジアの平和を護る具体論と言わねばならないだろう。北京の武力発動の可能性こそ、今日の平和に対する最大の脅威となっているのだ。
日本としては、北京の「三つの不支持」表明への要求に対し、「武力の不使用」の公約を強く迫るべきであろう。日本にとって台湾海峡が不安定となることは、米国以上に深刻な問題であるはずなのだ。
日本との相互理解深めた立法委員外交
北京の圧力に屈するなと強力に呼びかける
北京が日本に「三つの不支持」を公約せよと圧力をかけているなか、超党派の立法委員十九名からなる日本訪問団が、日本の各界に台湾における中華民国の立場を説明し理解を求めるため、八月二十四日から二十七日まで日本を訪問した。
日本訪問団団長である王金平・立法院副院長(国民党)は同日、出発に際し桃園国際空港で「今回の訪日は、日本の国会議員と交流を深め、わが国の強固な立場を説明することにある。われわれは日本とその他の国との関係に干渉するといった意図はないが、日本と中共がいかなる方式、またいかなる場合においても、台湾に関するいわゆる『三つの不支持』に言及するのは受け入れられない」と表明した。
同訪問団は訪日期間中、それぞれ分担して与党の自民党をはじめ、野党の民主党、自由党、新党平和なども訪問し、日本に台湾の立場を説明するとともに、台湾の利益を日本が正視し、共にアジア太平洋地域の繁栄と発展に努力すべきであると呼びかけた。このなかで訪問団は、台湾における中華民国は、日本と北京が台湾の将来に関する、いわゆる「三つの不支持」にいかなる形式であれ言及することは受け入れられないと強く主張するとともに、日本が北京の圧力に屈して台湾を日米防衛協力新ガイドラインから外すことがないように要請し、さらに北京との軍事協力と誤解されやすい「戦略的パートナーシップ」の関係を結ばないよう呼びかけた。
このなかで自民党の森喜朗幹事長は王金平団長に、台湾の主張に理解を示すとともに、政策にも反映することを約束した。また各野党も問題への高度な関心を示した。さらに日本の超党派で構成されている「日華議員懇談会」は台湾における中華民国の立場への強い支持と理解を表明した。また一行は精力的に日本の学界や言論界とも意見の交換をし、台湾の立場に対する理解を広めた。また後藤利雄・交流協会理事長は、中華民国の立場に関する説明書を政府に伝達することを約束した。
王金平団長は一連の日程を終えた二十七日、「このたびの訪問で接触した日本の政界や学界の方々は、中華民国に対し非常に友好的であり、わが国への支持の意思を示した。また、われわれ訪問団一行はこの訪問によって、いかにしてわが国の利益を擁護すべきかについて、多くの経験を積むことができた」と語った。さらに副団長を務めた民進党の黄爾(王+旋)・立法委員は、「江沢民は訪日を延期したが、われわれ一行は予定通り訪問し、日本の各界と十分な意思疎通の機会を持つことができた。これらの接触によって、日本が国益を考慮し、中共の強要を受け入れないだろうことが理解できた」と表明した。また、新党からの唯一の参加者となった馮定国・立法委員は、「今回の超党派による日本訪問団は非常に成功であった。今回の訪問によって日本側がわが国を支持していることが理解できた。さらに日本の国会議員の指導者らが一再ならず、蒋介石総統がかつて日本に示した『以徳報怨』を強調されたことには、深く感動させられた」と表明した。
《東京『中央社』8月27日》
江沢民訪日延期の真相 洪水で政治的考慮を隠蔽
江沢民は八月二十一日、大陸内部の洪水を理由に訪日延期を表明したが、確かに長江と松花江などの洪水は深刻なものがあるが、九月には収束に向かうと見られており、江沢民の訪日の日程に影響を与えるものではない。そこには彼の高度な政治的考慮があったのだ。
数十万の軍隊が被災地救援に出動しているとき、外遊したのでは軍部の心証を悪くする恐れがある。だが江沢民はこの外遊によって大きな成果をあげれば、軍の非難はかわせると考えていた。ところが訪問のリスクを考慮せざるを得なくなった。事前の日中(共)協議で共同声明の内容が合意に達せず、もし訪日しても台湾関連で明確な成果をあげられなかったなら、彼は大きな非難にさらされることになる。そのため訪日を延期せざるを得なくなった。訪露の延期はロシアの政情不安定と、洪水を理由に訪日を延期した以上、訪露も延期せざるを得なかったからだ。
《台北『中央日報』8月22日》
国民党二中全会開幕 与党としての体制を強化
中国国民党第十五回中央評議委員会第二回会議と中央委員会第二回全体会議が八月二十二日、台北国際会議センターで開幕した。
開幕式において李登輝主席は国民党の使命について「われわれが民主改革を推進し、人権保障を強化し、経済建設を進め、社会福祉を普及させるのは、すべて国民を主体としたものであって、社会正義に基づく政党によって公平な政府を樹立しなければならない」と語った。
また両岸問題については「対等と相互尊重を原則に意思の疎通を図り、両岸分治の現実を基礎に互恵互助の交流を促進し、将来の民主統一のための条件を整えなければならない」と語り、外交に関しては「積極的かつ実務的に国際活動の場を拡大し、国際的地位を高め、国家の安全を確保し、とくに中共の圧迫下においては、政府と民間の力を結合させ、困難を打破して新たな局面を開拓しなければならない」と強調した。
《台北『中央日報』8月23日》
「八二三砲戦」歴史的意義 李登輝主席が高く評価
国民党二中全会が閉幕した八月二十三日は、金門島で国共両軍が激しい砲撃戦(八二三砲戦)に突入した四十周年にあたり、李登輝主席はその閉幕式においてアドリブで同戦役に触れ「まずわれわれは、軍民同胞の犠牲と貢献によって歴史における八二三戦役の勝利があって、それによって台湾・澎湖・金門・馬祖における四十年来の安定と繁栄がもたらされたものであることを痛感する」と強調した。一方、軍人出身のカク(赤+おおざと)柏村・元行政院長は桃園で開かれた記念式典で「八二三砲戦は中華民国復興にとって重要な戦役であり、台湾の安全と経済建設の大きな分水嶺となった。もしこの戦役で金門島を失っていたなら、今日の台湾はなかった」と国防の重要性を強調した。
また、台湾本島内では最初となる「八二三戦役紀念碑」の除幕式が同日、高雄市内の中正公園で呉敦義・高雄市長と方寿禄・国防次長主催のもとに挙行された。
《台北『聯合報』8月24日》
台湾初の商業衛星打ち上げ 経済以外に大きな政治的効果
台湾は現在、米国、日本ならびに東南アジアを中心とする十八台湾初の商業衛星「中新一号衛星(ST│1)」が台北時間八月二十六日午前七時七分、仏領ギアナから打ち上げられた。製作費は二億四千万ドルで、中華電信とシンガポール電信がそれぞれ五〇%ずつ負担した。同衛星はパソコンを通信衛星回線で結ぶ高速データ通信サービスができ、有線無線のテレビ局による利用も可能である。 台湾は一九六〇年代から通信衛星の利用を開始し、当時はまだ国連に議席があり国際衛星組織にも加盟していたため各国と直接協議して外国の衛星通信回路を租借することができたが、一九七一年に国連を脱退してからはその資格を失い、衛星通信における「孤島」となっていた。ここにST│1を打ち上げたことにより、ふたたび中華民国・台湾の主権が宇宙に伸び、自主的に衛星通信を開始できるようになった。このため経済効果のほか、政治的効果にも大きなものが認められる。
《台北『中国時報』8月27日》
中華民国・台湾の国連参加-問答集
六つの疑問点に行政院外交部が答える
台湾における中華民国はここ数年来、国連参加活動を活発に続けているが、この活動の意義を明確にするため、外交部では各方面からの質問を六つに分類し、以下のように解説している。
一、中華民国・台湾が国連参加を勝ち取る意義は何か?
答:世界には百九十を越す国家が存在するが、このなかで中華民国は第十四番目の貿易大国であり、国民一人当たり平均所得は一万二千ドルに達している。こうした状況は重視されるべきであろう。威儀を正して言いたいことだが、国際社会においてわれわれが当然受けるべき重視を受けていないことは、以下の三項目から看取できる。国際社会におけるわれわれの権利が重視されないというのは、当然あるべきわれわれの権利が保障されていないということなのである。
事例一:国連は工業製品に含まれているフッ素によるオゾン層破壊を防ぐため、一九八七年に国連加盟国がカナダでモントリオール議定書に調印し、フッ素の生産に管理規定を設け、国連加盟国はそれを遵守し、違反すれば厳重な貿易制裁を加えることを要求した。わが国は早くから自主的にモントリオール議定書の関連規定を遵守することを表明しているが、いまだに調印国になることを要請されておらず、このため貿易制裁を受ける可能性すらあり、わが国の家電製品の輸出にとって脅威となっている。こうした制裁の危険性を排除するため、わが国の外交ならびに経済貿易部門は他国には見られない努力を払って世界各国に二国間協議を求め、二国間協定を結び、わが国のモントリオール議定書を遵守する決意を表明し、それを各国がわが国に経済制裁を取らないという保証に換えなければならず、この種の二国間協議はいまなお進行中なのである。
事例二:わが国は公海における六大漁業国の一つであるが、国連が漁業に関する協議をおこなうとき、いずれもわが国は国連加盟国ではないため、会議に参加し発言する機会がないのである。国連は一九九五年七月二十四日にニューヨークで遠距離回遊魚群会議をおこない、「国連海洋法条約遠距離回遊魚群の管理と保護に関する協定」を採択し、各国が公海で乱獲するのを防止して遠洋漁業の資源を保護し、違反国は国際的な制裁を受けることとなった。中華民国は遠洋漁業大国であるにもかかわらず、国連が推進するこのような重要な立法措置の審議や決定の過程に参加することができず、同時に権益を享受することもできないのである。ただし、義務を励行し規制と監督は受けなければならないのである。これはきわめて不合理であり、非民主的で国際正義にも反する現象である。
事例三:国連専門機関の一つである国際電気通信連合(ITU)は一九九四年、わが国が多年来にわたって使用してきたテレックスの国番号785と789をカザフスタンとトルクメニスタンに割り当てようとし、わが国はITUに前述の国番号保留を強く働きかけたが、わが国はITUの加盟国ではないため、国番号を769に改めさせられるところとなり、外国からわが国へのテレックスが混乱するなどの不便が生じ、国際貿易にも多大の影響が生じた。
こうした事例は決して単独で存在するものではなく、国際間において長期間中華民国の政治的地位が軽視されてきた結果によるものである。
根本的に、中華民国は一九七一年に国連を退出して以来、常に多岐にわたって不公平な待遇を受けている。国連は成立してより五十数年、すでに世界で最も普遍的で影響力の大きな国際組織となっており、国連の規定する各種の活動は、台湾におけるわれわれにも密接に関連している。このことから、中華民国政府およびその管轄下の二千百六十万国民の国際活動に参加する権利を確保するため、政府が国連参加活動を推進するのは必要なことなのである。
二、中華民国・台湾は国連参加を勝ち取るため、どのような方策をとっているか?
答:中共は一九五〇年より毎年、わが国に代わって国連での議席を得るよう要求しはじめたが、国連総会はようやく一九七一年に至って、わが国を排除し中共を入れるとする第二七五八号議案を採択し、中共が中華民国に代わって国連での議席を得るところとなった。これが歴史にいう、わが国国民に非常に大きな害を及ぼすところとなった国連総会第二七五八号決議である。二十七年来、この第二七五八号決議は、中華人民共和国が管轄する中国大陸地区およびその人民の国際活動参加への問題は解決したものの、逆に中華民国統治下にある台湾地区住民の権利を剥奪してしまったままとなっているのである。
わが国国民は二七五八号決議の影響下に、地球村における陰の一族となってしまい、国際社会はこの二千百六十万人を存在しないかのごとく扱ってきた。このため、国連参加の目的を達成するため、二七五八号決議による不合理をいかにして解くかが、第一の課題となっているのだ。
わが国は一九九三年に初めて国連参加の活動を開始し、国際間において広範な支持を得るため、外交部は開放的で特定の立場を設定しないという方針をとり、友好国にわが国のため国連総会に研究委員会設置案(略称:研委会案)を提出するよう要請することを主要 な政策とし、国連大会に特別委員 会を開設することを要求し、二七五八号決議によって台湾住民が国連関連の活動に参加できなくなっていることに検討を加え、同時に解決策を提示するという方策をとっている。友好国を通して国連総会に提議するというこの方策は、安全保障理事会を通さずに直接総会での決議に付すことができ、中共が安保理において拒否権を発動し、友好国の提議を阻止するという妨害工作を回避できるものである。もちろんこの方策も、提議の過程において中共の妨害と干渉を受けているが、中共は拒否権によってこれを阻止することはできず、わが国にはそれを推進するための相応の活動の場があるのだ。
研委会案はすでに四年間にわたって推進されており、すでに国際社会が、わが国国民が国連の外に排除されたままになっているのを望んでいないということを了解するに至っている。また、国連第二七五八号決議の内容ならびに両岸関係に対する各国の深い認識を得るため、外交部は一九九七年に友好国に提案を要請したとき、提案文の主旨を従来の「国連総会における研究委員会設立の要請」を、「国連総会において第二七五八号決議に検討を加えることへの要請」に変更し、国連総会が第二七五八号決議の欠陥を検討し、わが国の国連参加の権利を回復するよう直接要求するようにした。
政府が国連参加活動を推進するようになって以来、国内各界において政府の方策に対し、多くの異なる意見が見られるようになった。すでに表明されたそれらの意見のなかには、国連総会のオブザーバーとなって、まず国連関連の専門機関に加盟し、迂回方式によって国連との結び付きを強め、それから正式に国連の門をたたいてはどうかといったものがある。
だが、これまでの経験から見た場合、どの案にもそれぞれ困難な点がある。たとえば国連総会のオブザーバーになることを申請する案だが、そのためには国連関連の専門機関の一つに加盟しているという資格が必要である。現在わが国が国連関連の専門機関への加盟が困難だという状況においては、この案は非常に難しいと言わねばならない。
政府は一九九七年に世界保健機関(WHO)にオブザーバーとなる申請をしたが、正式加盟の申請ではないということで、中共はある程度柔軟な姿勢を見せたが、結局二七五八号決議を盾に反対した。このことからも、わが国の国連参加問題の根底には、やはり二七五八号決議の横たわっていることが看取できるのである。
三、中華民国・台湾はなぜ新規加盟の方針をとらないのか?
答:新たな名義にすれば、中共の圧迫をまともに受けることになる。国連への新規加盟申請は、まず安保理で審査を受け、総会の推薦を得てのち、総会での議決に付されることになっている。中共は安保理の常任理事国であり、かれらが今なおわが方に敵視政策を取っていることから見れば、安保理において中共が拒否権を発動し、わが国の加盟を阻止することは十分に予見できるのである。
四、中華民国が国連に参加するための最大の障壁は国名であり、もし国名を変えたなら、加盟することも可能になるのではないかとする意見がある。これに対する政府の見方はどうか?
答:確かにかなりの人が、もしわが国が国名を変更し、新たに主権の範囲の境界を定めたならば、わが国の国際法上の地位の問題が解決でき、これによって国連加盟の目的も果たせるとする意見を主張している。この意見には、論議が必要だ。
政府はこれまで何度も、国連参加活動を推進する基本目的の一つは、わが国が有効的に管轄する領域における二千百六十万住民の国連での発言権を確保するためであり、中共は国連においてわが方の政治主張に対し、故意にわが方の同組織に参加する権利を軽視しているからだと表明してきた。
このことから、われわれが国名を変えれば、国際法上中華民国と異なる国際人格を得るかどうかは論争の種となろう。まして中共の強烈な反対の下に、わが方の新たな国名による国連加盟を各国が支持するかどうかは、現実的に大きな問題となろう。したがって、国連参加活動の推進にとって、名称の問題は最大の障壁とはなっていないのである。
また、国連憲章の規定によれば、国家が国連加盟を申請する場合、安保理において少なくとも九カ国の理事国の支持が必要であり、かつ常任理事国のうち一国の反対もなく、それによって安保理の推薦を受けることができ、そのあと総会において三分二以上の支持があって、はじめて加盟できるのである。新規加盟の場合、どのような名称による申請であっても、この手続きを踏まねばならず、中共の拒否権行使の障壁に直面しなければならなくなるのである。
五、二七五八号決議の再審議を要求するのは、「二つの中国」を形成することにならないか?
答:台湾海峡両岸はすでに半世紀近く分治の状態になっており、今日なお統一の客観的事実はなく、中華民国政府の中国統一を追求する立場にも変化はない。
かつて東西両ドイツは共に国連に加盟したが、それが統一への障害になることはなかった。南北朝鮮は国家統一を模索しながら、一九九一年に国連に同時加盟した。
これらの先例は、分裂国家の双方が同時に国連に加盟しても、それが将来の統一の障壁にはならないことを証明している。
われわれの国連参加案は、中共の国連における現有の議席に挑戦するものではなく、中共の議席に取って代わる意志はなく、しかも台湾海峡両岸の将来の統一を継続して追求している。統一がまだ実現していない時点において、国家の生存と発展および国民の福祉保障の目標を追求することを基礎に、中華民国は台湾地区住民の基本的権利を国連のなかで合法的に擁護する権利を持っている。これを基礎とし、政府は友好国のわれわれのための提議を通し、すでに時代に合わず、また公平と正義にも反する第二七五八号決議を、国連が再審議するように要求しているのである。
われわれは、台湾海峡の両岸が並行して国連ならびにその関連組織に参加し、互いに相互尊重しあって平等に活動すれば、やがて双方の相互信頼が深まり、両岸統一のために有益な条件を形成するものになると確信している。
六、中共は、国連は中国問題に対して、台湾は中国の内政問題であり、台湾は中国の一部分であるとの立場をとっていると宣伝し、これを中華民国の国連参加反対への理由としているが、中華民国政府はこれに対しどのように論駁しているか?
答:具体面から見て、外国人が商用や観光で台湾を訪問するとき、中共の在外公館は中華民国へのビザを処理できるだろうか。
中華民国は一九一二年に建国して以来、一つの主権国家であり、中華民国政府は一九四九年に内戦によって台湾に移り、有効管轄区域は縮小されたものの、国家としての営みは一日として中断したことはなく、目下二十七カ国と正式外交関係を持ち、バヌアツ、パプアニューギニア、フィジーとは相互承認しており、世界の百四十カ国以上の国と経済貿易および文化など各方面にわたる実質関係を持っている。
一九七一年十月二十五日に国連総会を通過した第二七五八号決議は、中華人民共和国政府は国連で中国を代表する唯一の合法的代表者であるとしているが、台湾は中華人民共和国の一部分、あるいは台湾問題は中国の内政問題であるなどとは、一言も表現していないのである。
中華民国政府が主権国家としての身分をもって、その管轄下にある台湾・澎湖・金門・馬祖の二千百六十万住民が国際政治、経済、文化などの活動に参加する基本的権利を勝ち取ろうとするのは、いずれも国連憲章が提示している人権の擁護、正義の拡大、世界平和確保の原則に合致するものであって、国際社会はこの事実を正視するとともに、支持を与えるべきであろう。
(完)
組閣一周年、蕭内閣への高い支持率
経済界も金融危機管理に高い評価示す
蕭万長・行政院長(首相)が就任してよりおよそ一年が経過するが、八月二十三日に発表された世論調査結果によれば、蕭院長の施政に六四%以上が「非常に満足」あるいは「満足」と回答し、国民の内閣への支持率がきわめて高いことが明らかになった。
この世論調査は「中華民国民意測験(調査)協会」が台湾地区の二十歳以上の成年男女をサンプル抽出し、電話による質問形式によって八月二十日から同二十二日にかけておこない、有効サンプルは一千六十七本であった。
有効サンプルのうち、この一年間における蕭万長・行政院長の施策に六四・二%が「非常に満足」あるいは「満足」と答え、「不満」と答えたのはわずか「一八・八%」、「分からない」と答えたのは一六・九%であった。
蕭院長は就任以来、北京の圧力強化や金融危機のなかにあって行政改革や両岸、外交に積極的な姿勢を示してきたが、それらが国民から評価されたものと思われる。とくに評価の高かったのは、国内経済構造の改革面で、公共建設に「民間資本の導入」すなわちBOT方式(一定期間運営後の引き渡し)を採用したことに、七四・七%が「賛成」と答え、政府が進めている「公営事業の民営化」に対しても七三・八%が「支持する」と答えた。
また項目別では経済成長、交通建設、教育制度の順に満足度が高かった。東アジア金融危機への措置に対しては、満足感を示したのは四五・二%にとどまったが。これは金融危機の影響で株価と台湾元の為替レートが下落傾向を示し、貿易もマイナス成長となったことを反映したものと思われる。
また、社会治安の改善についても五七%が一応の評価を示したが、二〇%近くが「以前より悪くなった」と答えた。このため、今後内閣が最も力を入れなければならないものとして、「社会治安の改善」が四九%で第一位となり、次が「経済発展」、「交通網の整備」であった。また人柄については八六%が蕭院長に親近感もしくは好ましいイメージを持っていると答えた。
このように一年を経た蕭万長内閣への支持率は六四・二%と非常に高いものであったが、経済界においては蕭内閣に対する「行動内閣」としての評価は高く、東アジア金融危機への対処にも十分な評価を下している。王又曾・全国商業総会理事長は「点数をつければ九十点以上だ」と述べ、危機の台湾への影響が比較的軽微であることを評価した。
《台北『中央日報』8月24日》
現状維持と一国二制度は等号で結べぬ
行政院新聞局 七月二十三日
●現状維持と一国二制度は異なる
大陸・海峡両岸関係協会副会長の唐樹備は最近、「台湾は一国二制度の受け入れには一つのプロセスが必要だと言っているが、一国二制度はすでに現実に実施されている」などと語った。また彼は「一国二制度を台湾から見れば、一切の現状を維持するということになる」とも表明し、さらに「香港住民は一国二制度に非常に満足し、香港特区政府筋も一国二制度を高く評価しており、中央政府が『基本法』を厳格に遵守し、港人治港(香港人が香港を統治する)を実施して香港特区の行政には干渉していないことを証明している」などとも言っていた。
唐樹備の「一国二制度による統一すなわち現状維持である」とする論理は、一般的にまったく理解できるものではなく、ロジックが不明瞭で随所に矛盾もあり、深く推敲もしないまま曖昧な論法を弄したのであろう。なるほど中共は今年五月十一日から十三日まで、北京で「中央対台湾工作会議」を開き、両岸統一を台湾住民に期待するとの方針、ならびにその具体策、台湾住民への理解、さらに台湾住民の利益と願望の尊重という、次の段階における台湾工作に関する四大方針を定めた。
この会議は「一国二制度」と「台湾同胞の切実な利益」の関係について、「一国二制度による平和統一は、台湾人民の平和と安定と現状維持を求めるという願望を満足させ、台湾人民の根本的利益と完全に合致している」との解釈をつけていたが、唐樹備の「一国二制度による統一すなわち現状維持」とする荒唐無稽な論理はここから出ているのだろう。
中共は常に「一国二制度は台湾同胞が関心を持っている問題を解決し、台湾同胞の利益を擁護するものだ」などと言っているが、台湾の社会は今日非常に良好で「一国二制度」で「現状を維持する」必要などどこにもないのである。
唐樹備がこうした荒唐無稽な論理を立てるのは、彼の頭脳が不明晰というのではなく、そこに陰謀があるからなのだ。つまり巧言を弄してかれらの台湾に対する宣伝を粉飾し、「現状維持」を餌に「一国二制度」のプロセスを受け入れさせ、徐々にかれらの意図する「一国一制度」に持ち込もうとしているのである。彼の「一国二制度による統一すなわち現状維持」とする論法は、中共のこれからの対台湾宣伝工作の主要な謳い文句となるだろうが、こうした荒唐無稽な論法がはたして効果を発揮するだろうか。中共のこうした宣伝工作は、真理の面から今後ますます破綻することになろう。
●一国二制度をなぜ大陸沿海各省で実施しないのか
中共は「一国二制度」の理論がもたらす成果に期待を寄せ、香港でのわずか一年に過ぎない試行でも問題が噴出しているにもかかわらず、それを「模範」として早急に台湾にも押し広めようとしている。「一国二制度」は世界のどこにも見られない政治形態であり、もしその国の行政がうまく運営されているのなら、どうして二種類の形態が必要になるのだろうか。香港で異なった制度を実施するというのは、北京がみずから香港の制度が大陸内部の制度より優れていることを認めていることにならないのか。それなら優れている香港の制度を、なぜ香港だけにとどめておくのか。もし北京が大陸でそれを全面的に実施するのが困難だとしているのなら、なぜ沿海各省から順に実行していこうとしないのだろうか。もし沿海各省から実施し徐々に内陸部までそれを広げていったなら、まさしく「一国二制度」はその「模範」性を発揮することになろう。
そのようにすれば、大陸人民の香港に対する妬みも解消できよう。いま裕福な香港は中央に何の義務も負わず、特権だけを享受しているが、それは大陸人民にとっていつまでも我慢できるものではない。こうしたアンバランスはやがて重大な社会問題を生み、貧富の差による地域抗争へと発展し、結局は大陸各省や自治区が「一国二制度」を求めるようになるのである。
今回のクリントン・江沢民会談のあと、共同記者会見でクリントンは中共とダライ・ラマの話し合いによる「チベット問題」解決を呼びかけていたが、江沢民はダライ・ラマが「チベットは中国の一部」であることを認めるという条件下なら話し合うと表明していた。だがこれまで、ダライ・ラマは一貫して平和解決を祈念し中共との話し合いを求め、場合によっては香港と同様の「一国二制度」を提議し、「独立」ではないチベットの「自治」を要求していたが、中共はそれを拒絶し「チベットと香港は異なる」として、チベットでの「一国二制度」は不可能としてきたのである。
中共のこの姿勢は、ダライ・ラマと交渉する意思のないことを示している。ダライ・ラマはチベットでの「一国二制度」実施を要求しているのであり、それはあきらかに「チベットは中国の一部」とした上でのことであり、チベット人民の要求は社会と宗教の「自治」であって、根本的に「独立」とは異なっている。にもかかわらず、そこでの「一国二制度」を認めようとしないのは、すなわち「一国二制度」が策略であることを物語っていよう。つまり「一国二制度」は最終目的である台湾併呑のための過程にすぎないのだ。チベットでの「一国二制度」実施の拒否が、そのことを台湾住民に明確に示しているのである。中共は一再ならず「一国二制度五十年不変」を強調しているが、それは「一国二制度」が「過渡的」なもので、将来変更することへの必然性を示すものであって、台湾住民に「一国二制度すなわち現状維持」への疑問を抱かせるものでもあるのだ。
香港の主権が移行してより一周年、中共は国際間にも台湾にも、香港における「一国二制度」の「成果」を喧伝しているが、わずか一年の試行で「成果」などが断定できるだろうか。ましてそこには問題が百出し、人々から疑念を抱かれているのである。もし、中共の言うように「一国二制度」がすばらしいものなら、なぜ大陸内部にもそれを試行しないのか。もし、香港と経済関係の緊密な大陸沿海各省に、さらにダライ・ラマの呼びかけに応じ、チベットにも「一国二制度」を拡大していったなら、それが民族、宗教問題などを解決するきっかけになるだろう。
●一国二制度は中共の憲法違反の産物
中共は一九八二年に、「憲法」第一条で「中華人民共和国は労働者階級による、工農連盟を基礎とする人民民主専制の社会主義国家である。社会主義制度は中華人民共和国の根本制度である。いかなる組織あるいは個人も、社会主義制度を破壊することを禁止する」と規定した。この規定から見れば、鄧小平の提議した「一国二制度」は明らかに「違憲」である。なぜなら中共憲法の第一条第二項は、社会主義制度がかれらの基本的制度であり、いかなる組織も個人もそれを破壊することを禁じているからだ。それにもかかわらず、かれらは中華人民共和国の内部で社会主義とは異なるもう一つの制度を試行するというのが、重大なる「違憲」になるとは見ないのだろうか。
「一国二制度」は「違憲」であるとの前提に立てば、「一国二制度」より案出された香港「基本法」は法的根拠を喪失する。中共は香港「基本法」の法的根拠を、中共憲法第三十一条の「国家は必要に応じて特別行政区を設置することができる。特別行政区内で実施する制度は、具体的状況と全国人民代表大会により、法律をもって定める」という規定に求めている。だが、この中共憲法の第三十一条と第一条は相互に衝突するものであり、このことから見れば、香港「基本法」は、根本的に法的根拠を持たない誤ったものとなるのである。今後、中共は憲法解釈によってこの難問題を解決しようとするだろうが、それは解釈の拡大をもたらすものであり、そうしたことはいきおい社会主義制度による政権の本質にも及ぶものであり、やがては中共の「一党独裁」の政権基盤をも揺るがすものとなろう。
中共が「一国二制度」の適宜な憲法解釈も提示できないとしたなら、台湾や香港の住民にそれへの「合法性」や「継続性」にますます疑念を持たせることになろう。大陸人民さえ、一つの国家に二つの制度を実施することに疑問を抱いているのである。北京が台湾住民に対し、「一国二制度」は単なる形式で最終的には社会主義の「一制度」に向かうのではないかとの疑念を抱かせないようにすることは不可能である。
(完)
日本人に知らせたい もうひとつの台湾史 ㊥
許 文龍・奇美實業董事長(談)
鄭成功の来台(続)
歴史は見る立場と角度によって異なる記述になる。学校でわれわれは、鄭成功を民族の英雄、と教えられているが、果たして事実か私は疑問に思っている。
連雅堂著作の「台湾通史」によれば、台湾を経営したのは陳永華で、私の読んだ資料でも彼はすこぶる経営手腕があり、また良く一般人民を保護し、多少基礎建設もやった。陳永華は孔子廟の前向かいの小路の中の廟に祀られている。
清朝時代の劉銘傳は、最近の書籍では、台湾近代化の父と賛美されている。
彼は、台湾を全中国の模範省にする目標で、政治をおこなった。思想も新しく、全中国で最初の鉄道を台湾に建設した。したがって劉銘傳は一種の例外である。 清朝時代の統治は点だけで面にも及ばない。都市の城だけ固守して、人民大衆の事情には構わない。
私の母の話では日本統治前の清朝時代には、飢餓に遭遇すれば農民は群れを成して城内に「(てへん+争)椪」(強奪)に行く、すなわち土匪になる。したがって城門は夜間閉めなければならない。
今でも「宋江陣」が廟の祭りにねり歩くが、当時「宋江陣」は各廟の自衛隊的存在で、廟が指揮中心となり、政府保護の補完的自己防衛をしていた。 当時人民の安全は保障されず、基礎建設の道路、港湾、衛生施設などは殆どない状況であった。
日本統治が始まる
日清戦争後、清朝は台湾を日本に割譲して講和条約を結んだ。
日本軍が台湾に上陸するや、清朝官吏の劉永福と丘逢甲などは、人民を顧みず率先して大陸に逃げ帰った。この様な心掛けの官吏が台湾を経営できるわけはない。
台湾が近代化し世界各国と肩をならべられるようになったのは、日本人が台湾に上陸した後の事である。もちろん日本人が台湾人の幸福のために、あるいは全然無目的で台湾を経営し近代化したのではない。その目的は第一に日本自身の利益であり、第二に国際的イメージ確保の考慮にある。
当時世界列強のオランダ、英国、フランス、ドイツ、米国は全部すでに植民地を持っていた。
日本の台湾経営の着眼点は経済上の利益であり、また軍事上台湾を将来南進の基地にする事である。さらに最初の植民地能力を示したかった。したがって台湾に一流の人材を派遣した。
話はそれるが、台湾が終戦後中国に接収された時の状況を回顧すると、台湾に来た六十二軍の兵士は、雨傘をさし鍋釜を天秤棒に担ぎ、台湾人のわれわれが想像した軍隊とは全然違う、土匪軍に近い外観で、この様な軍隊は飢えれば土匪になるに違いない。
辜振甫の父、辜顯栄は日本軍の台北城入城を案内して、中国人から「漢奸」と非難されているが私個人はそうは思わない。
当時日本軍が一刻も早く台北城に入らないと、人民は必ずもっと悲惨な目にあう。清朝が派遣していた雇傭兵は、本質的に土匪と言ってもよい。
外部の人が新しい土地に来て現地人を理由もなく殺す事はないが、内部の人の強盗的行為はもっと恐い。辜氏はこの危機を察して緊急に、日本軍の入城を促した。当時の台北市民にとって辜氏は「功労者」と言うべきである。
もちろん彼がただ台北の治安のためにしたとは思わない。何か将来特別な権益を得るのを期待したかも知れない。
日本が残した功績
さて、日本人は台湾でどういう仕事をしたか。先ず日本の台湾接収に抵抗したのは劉永福でも丘逢甲でもない。
一群の無名の台湾人であった。日本軍は圧倒的に強く、台湾に無血上陸し、順調に台北に入城したので、一週間の内に全島を簡単に接収出来ると考えたが、頑強な台湾人の抵抗に遭遇した。
私の読んだ、日本人の書いた「台湾研究」にも、日本人は、武器を持たない悪条件の台湾人が日本軍と激戦し、長期間も抵抗したのには驚異を感じた。
われわれの祖先は非常に勇敢だったのだ。
台湾に派遣された近衛師団長の北白川宮能久親王は皇族であるが、佳里付近で台湾人に暗殺されたという噂がある程、台湾人の抵抗力は大きかった。上陸後全島が平定されるのに数年かかった。
日本も統治初期は強硬手段をとり、無差別殺人はしなかったが、抵抗する者は殺した。
第一代から第七代までは軍人総督を任命したが、その後は文官総督で、大東亜戦時にまた第十七代から武官総督に戻った。
中華民国政府が台湾を接収した時にも軍人・陳儀が長官となり、その次の魏道明以外は長期間軍人が台湾省主席になっていた。
私は軍人に良い印象を持たない。なぜならが軍人は盡忠(尽忠)を本分とするので、外部の世論あるいは意見を考慮せず、上官に絶対服従し、殺人でもなんでもする。したがって軍人が執政するのは良くない。
中国の歴史でも原則的には軍人を政治に参与させない。
例えば、岳飛の時代、辺境に駐屯する軍隊と将軍が強大になれば、皇帝はこの軍隊が何時王朝と皇帝に謀叛するかと脅威を感じ、絶えず対策を考える。 岳飛は誰に殺されたか未だ不明だが、日本人の歴史研究家によれば、彼は当時の皇帝に殺されたと言っている。
また仮に皇帝にこの意向があれば秦檜が皇帝に迎合して、無実の罪をきせる事も有り得る。されば皇帝は永久に仁慈の君主、権力者は永遠に偉大であり得る。 したがって秦檜は歴史で論じられる様な悪人でもなく、実は皇帝が岳飛を殺したかも知れない。
第四代兒玉総督時代に後藤新平が民政長官に就任、彼は医師で、日本でも一流の人材である。ドイツ留学の医学博士で、近代的頭脳を持った人である。
最初に彼は徹底的な台湾の調査に着手した。土地(地籍調査)、人口、資源などの綿密な調査資料は、戦後国民党政府が台湾を接収した時に驚嘆した程である。 後藤新平はこの資料を根拠として開発計画を立てた。
政府の財政困難のため、彼は三菱、三井などの財閥に台湾への投資を誘致し、また台湾銀行を設置して資金の供給をさせた。
すなわち、彼は夙に政府の人力に限度を感じて、商人に台湾の経営を任せた事になる。
今台湾でも、重要建設に民間会社を参加させる政策があるが、同じ思考方法である。当時の台湾では三井が一番勢力があった。
製糖事業も民間の資金と技術を導入した。交通とかのインフラ建設にも大量に資金を長期投資した。日本本国政府が悲鳴をあげた程である。彼が着手した台湾産業の近代化には、今日でも存在する農業試験所、水産試験所、林業試験所などの設置がある。
当時の台湾人は非常に哀れな境遇にいた。平均寿命は三十歳未満でマラリヤ、赤痢、チフスなどの病気が流行した。日本台湾派遣軍の病死者は、戦死者の数倍という状況である。後藤新平は徹底的に台湾の衛生環境と医療の改善をした。阿片に対して漸禁策をとり、阿片専売制度からの収益を台湾衛生事業施設の経費にあてた。 昭和十年頃、台南病院、伝染病病院、肺病病院、精神病病院、癩病院などの施設があった。国民所得が低く、国家税収も少ない環境下に以上の施設を作ったのだ。
また、現在の台南市政府(市役所)、中山公園、遊泳池、あるいはすでに取り壊された博物館、歴史館、図書館は全部戦前に建設したものである。 したがって日本台湾統治の五十年間、戦争末期の十年を除けば四十年の期間、台湾が治安衛生の悪い清朝時代から一転していわゆる「夜不閉戸」の治安の良い社会になったのは、人民にとって非常な一大事である。 (以下次号)
《(株)国際評論社 LA INTERNATIONAL7月号より転載》
辜振甫氏、日本で京劇公演
日台の学生交流のために一肌脱ぐ
台湾経済界の重鎮であり、総統府資政(最高顧問)や両岸交流の民間窓口である「海峡交流基金会」理事長を務める辜振甫氏の隠れた特技-それは「京劇」。父親の辜顕栄氏が自分の劇場を所有していた関係で、子供のころから京劇を習い始め、その腕前は趣味の域を超えて玄人はだし。七十才を過ぎてから健康のためにふたたびけいこを始め、八十歳を超えた今でも、週三回二時間ずつの練習を欠かさないという。
その辜振甫氏が後援する「台北新舞台京劇団」が十一月初めに、初の東京公演をおこない、辜氏自身も特別出演して、日ごろ鍛えたのどを披露することになった。今回の京劇公演は、日台の学生交流支援のための奨学金の資金を集めることを目的としており、チケットの売上はすべて寄付される。
今回の主催者である「台北京劇を鑑賞する会」には、辜氏と親交の厚い日本経済界のトップが名を連ね、日台経済交流における辜氏の人脈の広さがうかがわれる。昨九七年九月に、人間国宝の市村羽左衛門さんと息子の市村萬次郎さんらが台北と高雄で歌舞伎公演をおこない大成功を収めたことを受けて、関係者の間から「台湾の京劇をぜひ日本に」との声が上がり、辜氏がこれに応えたことから、今回の来日公演が実現したという。
今回の公演には、台湾京劇界の名優である李宝春氏と陳元正氏が共演し、日本人にとってもなじみの深い『三国志』や『水滸伝』から、「空城計」、「野猪林」などの名場面が演じられる。辜氏はいわゆる「老生」(中壮年の男役)を担当し、『三国志』の諸葛孔明と『東周列国故事』の伍子胥を演じる。
《台北『中国時報』7月9日より》
●台北新舞台京劇団東京公演
[プログラム](日本語字幕付)
11月2日(月)午後六時半開演
「空城計」・「野猪林」
11月3日(火・祝)午後二時開演
「文昭関」・「長坂坡」・「漢津口」他
11月4日(水)午後六時半開演
「群英会」・「借東風」・「華容道」
会場 東京国際フォーラムホールC (JR有楽町駅徒歩一分)
料金 S一万二千円、A九千円、B 七千円、C五千円、D四千円(主要プレイガイドにて発売中)
問合せ ジャパン・アーツチケットセンター ℡03-3499-9990
お 知 ら せ
日華親善梵唄音楽特別公演 「華麗なる宗教音楽の世界」
東京公演に続いて、大阪でも「国際仏光会大阪協会」と「高野山声明の会」の主催による仏教音楽のコンサートが開催されます。
プログラム:「梵唄」中国語で歌う声明(指導:星雲大師)
/「日本声明梵唄詠讃」
日時 9月16日(水)午後六時半開演
会場 メルパルクホールOSAKA
問合せ 大阪仏光山 0797-81-7478 高野山声明の会 0736-56-2321
慶祝中華民国八七年国慶 華夏綜藝訪問団東京公演
日 時 9月20日(日) 午後一時半開場、二時開演(入場無料)
会 場 明治神宮会館(JR原宿駅、代々木駅)
主 催 日本中華聯合総会、東京華僑総会、横浜華僑総会
問合せ 日本中華聯合総会 ℡03-3201-4710
東京中華学校運動会
日 時 9月23日(水・祝)
会 場 東京中華学校(四谷)
問合せ ℡03-3261-4992(同校)
新刊紹介
二十一世紀の国家戦略
運命共同体としての日米そして台湾
中村 勝範 編著
新たな「日米防衛協力のための指針(ガイドライン)」は、とりもなおさず日米同盟の強化であるが、これに対し台湾海峡を含んでいるのはケシカランとする北京の反発に便乗する一部の声はあるものの、大多数の一般国民の中からさしたる反対の声は聞かれない。つまり多数の国民はそれを暗黙のうちに諒解している。この事象は、国民の多くが一部の政党が主張していた「一国平和主義」の無責任さと不可能なことに気づいたからに他ならない。つまり平和を守るには国際協力が必要なことを、国民の多くが理解しはじめたのだ。
では、具体的にはどうすべきか。その一つが日米防衛協力の新ガイドラインであるが、本書はさらにアジア太平洋地域の安定に対し、日本、台湾、米国の共通性を解き、「米国一国だけではやがて軍事大国化する中国に若干不安があるが、政治、経済的に安定した民主主義国家であって、しかも強力な軍事力を持つ日本と台湾が米国に加勢するのであれば安心である」との観点に立ち、最近発生したさまざまな事象を基礎に、日米安保、台湾の実務外交、「中国脅威論」など六つの章に分けて明快に論を展開している。
なお本書は日華関係研究会の月刊機関誌『日本と台湾』に掲載された論文を中心に組まれており、したがって執筆陣がいずれもアジア問題専門の学者、新聞記者、ジャーナリスト(日台十五名)であり、中身の非常に濃いものとなっている。かといって難解なものでは決してなく、各章とも平易な文体で書かれ、まさに今後の日本が採るべき新ガイドラインを示唆する書となっている。
(展転社刊 四六判 頁 ¥1800+税)
文化・芸能ミニ情報
北野武、侯孝賢作品に主演?
ベネチア国際映画祭で、アジア人として前後して金獅子賞(グランプリ)を受賞した台湾の侯孝賢監督と日本の北野武監督が、近い将来共同で映画を製作する可能性が高くなった。しかも、侯監督がメガホンを取り、北野監督が主演するという。
関係筋によると、北野監督から元松竹の映画プロデューサー、一山尚三さんを通して侯監督に共同製作の申し出があり、侯監督がこれに応じた。北野監督側は日本国内での撮影を条件としており、侯監督は現在、日本を舞台とした北野監督にふさわしい脚本を準備するのに頭を悩ましているという。双方は、来年からの撮影開始を希望しているが、予算の問題や他の出演者選びなど、この企画の実現には、さらに一歩進んだ話し合いが必要なようだ。
北野監督はまた、今年の台湾の金馬奬国際映画祭にゲストとして招かれる予定となっている。今年の金馬奬は目玉として北野監督作品を特集し、昨九七年のベネチア国際映画祭金獅子賞受賞作「HANA-BI」がオープニングで上映される予定。
《台北『中央日報』8月11日》
「ブラビ」台湾で新曲発表
台湾出身のビビアン・スーさんをメンバーとする三人組の音楽グループ「ブラックビスケッツ」が八月十八日、日本発売に先がけ、台北で三曲目のシングルの発表会とサイン会をおこなった。当日はあいにくの雨模様にもかかわらず、千人近いファンが集まり、会場は新曲CDやポスターを手に声援を送るファンで異様な熱気に包まれた。
《台北『中央日報』8月18日》
川島なお美さん、台湾訪問
テレビドラマ「失楽園」、「くれなゐ」のヒットで人気の女優、川島なお美さんが八月十九日から三日間、「くれなゐ」の台湾放映のプロモーションのために台湾を訪れ、記者会見に臨むとともに、旧知の仲であるタレント、白冰冰さんをドラマ撮影現場に訪問した。
《台北『聯合報』8月19日》
お 知 ら せ
「新日台交流の会」第十九回研究・懇親会のお知らせ
今回は、中国信託商業銀行東京駐在員事務所代表の易錦銓氏をお招きし、アジア経済危機の中にも、相変わらずの強さを見せる台湾経済の秘密についてお話を伺います。
ゲスト 易錦銓氏(中国信託商業銀行東京駐在員事務所代表)
日 時 9月26日(土)午後3~6時
場 所 日華資料センター3F会議室 〒108-0073東京都港区三田5 -18-12 ℡03-3444-8724 fax03-3444-8717
テーマ 「台湾経済の特色と強さ」
交 通 都営バス魚籃坂下にて下車徒歩一分(詳細地図FAX送付可)
日華資料センターでは、奇数月の土曜日に「新日台交流の会」を開催しています。参加は無料です。皆様のご参加をお待ちしています。
春夏秋冬
クリントン訪中(共)のあと、日本の新聞で台湾関係の記事といえば、海峡両岸双方(台湾と大陸)がどのように話し合うかが中心になっている。それも、期待感を持った報道が多い。ところが、話し合いがスムーズに行われるかと思っていたところ、民進党の市会議員である林滴娟さんが大連で殺害されるという事件が発生した。この事件の示唆するものは多い。
いま中国大陸では、国際アムネスティの発表によれば、毎年六千百人、一日にして十六人から十七人が死刑宣告を受け、年間四千三百六十七人、一日にして十一人から十二人が処刑されている。これを人口比で日本に当てはめてみると、毎年四百人前後の死刑が執行されている計算になる。日本では数年ぶりに一人か二人の死刑が執行されただけでも新聞の話題になるのに、中国大陸におけるこの数字は異常というか、凄まじいという他はない。
つまりこの数値は、中国大陸ではまだ、日本では考えられないような極権による強圧的姿勢で政治が行われていることを意味していることになろう。同時にそれは、大陸社会がきわめて不安定であることをも意味しているのだ。このことから、ある結論を導き出すことができる。すなわち、いまなお世界の潮流に反し、強権政治体制を敷いている政府と対話をおこない、そこに一時的な平和があったとしても、それは恒久的な安定した平和には繋がらないということである。
同時に今回の事件は、一九九四年に発生した千島湖事件を思い起こさせるものである。この事件では、台湾からの観光客二十四名が浙江省の千島湖の遊覧船のなかで殺害された。このとき、犯人は裁判にかけられたとされているが、台湾から駆けつけた遺族および新聞記者はそれを直接傍聴することはできず、別の部屋で操作されたテレビの映像しか見ることができなかった。つまり処置が、実に不透明だったのである。
この千島湖事件で海峡両岸の信頼感は大いに阻害されたものであるが、それはすべて、大陸側の不透明さにあったのだ。このことを想起し、そして今回の林滴娟さんの事件を見れば、海峡両岸の対話がスムーズに進むと過度に期待するのは禁物と言わねばならない。これは台湾海峡の平和にとってもアジアの安定にとっても、不幸なことである。それはすべて、前述のごとく大陸の社会的不安定、それを糊塗する強権政治、そして司法における不透明さに原因があると言わねばならない。
海峡両岸が真に胸襟を開いて話し合いを進め、双方の信頼感を培うには、やはり大陸社会の開放を待つ以外にないのだ。
(JC)