
中華週報1883号(1998.11.19)
今週の写真:10月30日、シュミット元ドイツ首相(左)が来台。11月1日、台北円山ホテルで連戦副総統と会見
週間ニュース・フラッシュ
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◆省文献委員会が五〇年代白色テロの全容まとめ出版
台湾省文献委員会は十月三十日、四年がかりでまとめた一九五〇年代の白色テロの全容を「台湾地区戒厳時期五〇年代政治案件史料彙編」として発刊した。同書には六十の事件とその時代背景が記されている。 《台北『聯合報』10月31日》
◆蕭行政院長がリー・クアンユー上級相と空港で会見
蕭万長・行政院長は十月三十一日、米国からの帰途に台湾を通過したシンガポールのリー・クアンユー上級相と桃園国際空港で一時間余にわたって会見し、両岸関係とアジア金融危機について意見を交換した。 《台北『中国時報』11月1日》
◆高雄市長選挙は呉敦義候補が一歩リード
高雄市長選挙のテレビ政権発表は十一月一日に実施されたが、同日放映終了後に『中国時報』が実施した電話による世論調査(有効サンプル一千六本、誤差±三・二%)によれば、各候補の支持率は呉敦義(国民党)三八・三%、謝長廷(民進党)二八・八%、鄭徳耀(無所属)一・八%、呉建国(新党)〇・九%であった。 《台北『中国時報』11月2日》
◆胡志強・外交部長が中東三カ国訪問から帰国
胡志強・外交部長は十月二十九日から、国交のない中東のアラブ首長国連邦、バーレーン、ヨルダンの三カ国を訪問し、実質関係強化について話し合い、十一月二日に所期の成果を収め、帰国した。 《台北『中央日報』11月3日》
◆第一商業銀行がパラオに支店開設
第一商業銀行がパラオに支店を開設し、十一月二日から営業を開始した。これは台湾の銀行のパラオでの支店開設第一号で、最近台湾からパラオへの投資が増加する傾向にあり、これでいっそう弾みがつくものと思われる。 《台北『中央社』11月3日》
◆蒋仲苓・国防部長が北京の台湾圧迫政策を非難
行政院は十一月二日、台北・国家図書館で大陸工作会議を開催したが、このとき蒋仲苓・国防部長は、今年八、九月にスウェーデン、オランダを訪問する予定だったのが、北京の妨害で潰れたことを明らかにし、北京が「硬軟両用策略」を強化していることを強く非難した。 《台北『中央日報』11月3日》
◆李曾文恵夫人が欧州四カ国訪問から帰国
李登輝総統夫人の曾文恵氏は十月二十二日から総統府秘書長、国家安全会議秘書長、外交部長の夫人らと文化交流のため貴賓としてフランス、バチカン、イタリア、オーストリアを訪問し十一月三日帰国した。一連の会見でパウロ二世・ローマ法王は、両岸の対話と平和を強く望んだ。 《台北『中央日報』11月4日》
◆シュミット元ドイツ首相が台湾訪問
シュミット元ドイツ首相が十月三十日、『中国時報』の招きで台湾を訪問し、十一月三日までに経済・環境問題について講演するとともに、李総統、連副総統、蕭行政院長らと個別に会見し、国際情勢について意見を交換した。 《台北『中国時報』11月4日》
◆米国の中間選挙、華米関係に影響なし
米中間選挙で台湾に好意的な共和党の勢力が若干後退したが、外交部の対米関係筋は十一月四日、「新たな友人も多く、将来の華米関係に大きな影響はなく、米国議会との友好関係に変化はない」と表明した。 《台北『中央社』11月4日》
◆行政院が金融安定の総合策を明示
蕭万長・行政院長は十一月四日、行政院財経会議を開き、財政部に金融機関の経営危機に対処する専門組織設置、金融機関の最大六カ月債務返済猶予を認めるなどの金融安定総合策を発表した。 《台北『経済日報』11月5日》
今週の焦点
国際正義の立場からも
日本は北京政権に屈するな
11月25日から江沢民が日本を訪問するが、いま北京側はクリントン米大統領が上海で非公式に表明した、いわゆる「三つの不支持」を共同声明のなかに明記するようしきりと圧力をかけている。つまりクリントン大統領が口頭で非公式に述べた「①台湾の独立を支持しない、②『二つの中国』、『一中一台』を支持しない、③国家を単位とする国際組織への台湾の加入を支持しない」という内容のものを、日本に対しては正式に文書化せよと迫っているのだ。この要求ほど理不尽で国際常識に反したものはない。日本は目下のところ、1972年の「日中共同声明」の内容を踏み出さず、口頭でも表明しない姿勢を示しているが、これが国際常識であり、また国際間における信義というものであろう。日本はこの姿勢を是非とも貫徹し、日本の正義を世界に示してもらいたい。さらに言えば、「日中共同声明」の内容自体に問題があったのだ。これ以上日本が北京の理不尽な要求に屈すれば、日本国の国際信用に関わることにもなる。
台湾の国際的な位置については、つい最近、10月15日の上海での「辜汪会見」で辜振甫・海峡交流基金会理事長が、北京側に明確に表明した通りである。辜振甫理事長は台湾の位置を「日清戦争に敗れ、清朝が台湾を割譲し、中華民国が1912年に成立し、台湾は第二次世界大戦のポツダム宣言によって復帰し、1949年に両岸分治が始まり、いかなる一方の管轄権も他の一方に及んだことはなく、『一つの分治された中国』は否定できない客観的事実となっている」と述べた。白を黒とでも言わない限り、この事実認識になにぴとも反対はできないだろう。
だから1972年の「日中共同声明」で北京が台湾を「中華人民共和国の領土の不可分の一部」と主張したのに対し、日本はそれを「承認」するとは言わず、北京の立場を「理解し尊重し、ポツダム宣言第八項に基づく立場を堅持する」と謳ったのである。この「理解し尊重し」にしても、現実から離れたものであり、日本としては北京の圧力の故に現実に目をつむっても、これ以上は譲歩できないといったところであったろう。だが、ポツダム宣言の立場を「堅持する」と明記したのは、一度受諾したものは必ず守るとする、日本の国際正義を示すものであった。
言うまでもなく、ポツダム宣言の第八項とは「領土の局限」に関する部分であり、そこには「カイロ宣言の条項は履行せらるべく」と記されている。その「カイロ宣言の条項」とは、「同盟国の目的は、……台湾及び澎湖島のような日本国が清国人から盗取したすべての地域を中華民国に返還することにある」としたものである。これらの宣言のときに存在していなかった「中華人民共和国政府」が、「日中共同声明」で台湾を「中華人民共和国の領土の不可分の一部」と主張したのは、台湾に中華民国が存在する現実を無視し、カイロ宣言もポツダム宣言も反故にせよと日本に迫るようなものだったのだ。同時に、戦後の中国大陸の変化について、台湾も同じように変化したことにして、台湾における中華民国の意思を無視せよと迫るものであったのだ。
また、いま北京が日本に迫っている「三つの不支持」表明は、さらに上記の件を積極的に認め、台湾排斥に協力せよと要求するものであるのだ。これはもう覇権主義に固まった大国のごり押し外交以外のなにものでもない。こうした国の指導者を迎え、日本はそれに屈しないことはもとより、逆に国際正義のあり方をこそ教えてやるべきであろう。
李総統が「新台湾人」の観念を強調
国民にコンセンサス確立を呼びかける
李登輝総統は台湾光復節の前日である十月二十四日、光復(祖国復帰)五十三周年記念談話を発表し、そのなかで「新台湾人」としてのコンセンサスを凝集し、不撓不屈の「台湾精神」を発揮し、子孫の将来のため光明ある前途を創造しようと呼びかけた。以下はその全文である。
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本日は台湾光復五十三周年記念日の前夜であり、私はとくにこの機会を借り、全国の同胞に挨拶するとともに、皆さんがこの五十三年間、台湾の進歩と発展のために努力し、貢献されてきたことに、感謝の意を表明します。
台湾光復は、台湾について言えば運命の変わった日であるばかりでなく、新たな歴史の始まった日でもあります。なぜなら、この日があってこそ、台湾と澎湖島が日本の植民地統治を終え光栄ある中華民国の版図に復帰できたのであり、この日があってこそ、台湾住民が非情の歳月を脱し、自主新生の道路を邁進することができ、この日があってこそ、台湾が共産主義の汚染を受けない浄土として、中国の将来の発展を示す台湾経験を打ち立てることができたからであります。このことは、今日われわれが台湾光復節を記念するのに、深く認識しなければならない歴史的意義であります。
五十三年来、台湾におけるわれわれの努力と行動は、経済の繁栄、政治の民主化、社会の開放といった豊富な成果をもたらし、それらは国際社会が一致して評価するところとなっております。これは決して一個人あるいは一グループの功労ではなく、この土地に住むすべての人々が汗と涙を流し、艱難辛苦に耐え、共に手を取り合い、共同で困難を克服し、奮闘してきた結果であります。
実際において、台湾発展の歴史的過程を回顧すれば、もちろん渡来した時期が先であれ後であれ、すべての人々が台湾の発展に等しく顕著な貢献をしてきております。昔から台湾は海上に孤立し、開発困難な地でありましたが、先住民同胞が早くからここにおいて絢爛たる文化を創出し、明・清代には大陸沿海の住民が続々と危険を冒して海峡を渡り、台湾を開拓し、開発の基礎を築きました。一九四九年には大陸に大きな変動があり、多くの軍民同胞が政府にしたがって台湾に至り、台湾の発展に多元的で新たな活力を注入しました。このように台湾発展の成果は、無数の先人の知恵を累積し、すべての人々の力を融合し、培われてきた心血の結晶なのであります。
本日、この土地で共に成長し、生きてきたわれわれは、先住民はもちろん、数百年前あるいは数十年前に来たかを問わず、すべてが台湾人であり、同時にすべてが台湾の真の主人であります。われわれはこれまで、台湾の発展に栄えある貢献をしてきましたが、同時に将来における台湾の前途に共同責任を負っています。いかにして台湾に対する愛惜の念を具体的な行動としてあらわし、台湾のさらなる発展を切り開いていくかは、われわれ一人ひとりが「新台湾人」としての、他に転嫁できない使命であります。同時に、われわれが後代の子孫のために輝かしい未来図を創造することも、背負わなければならない責任であります。
台湾は五十三年にわたる奮闘の過程において、すでに歴史の陰影から脱却し、活力ある新たな機運を打ち立てました。今日、将来の新世紀を迎えるにあたり、われわれは政府と全国民の心と力を結集し、全面的に民主の理念を具現し、社会正義を具体化し、経済成長の繁栄を持続し、長期にわたる安寧と永続的な発展を保持した社会を打ち立て、国家の世紀に跨がる発展の歴史の大業を完成させなければなりません。
親愛なる皆さん、台湾は一つの共同体であり、われわれはここに暮らし、ここに働き、将来の発展もまたここにあります。われわれが「新台湾人」としてのコンセンサスを継続して結集してこそ、われわれのために、またわれわれの子孫のために、光明に満ちた大台湾の遠大なる青写真を描くことができるのです。共に努力をしましょう。 (完)
《台北『中央日報』10月25日》
対トンガ断交と中華民国政府の立場
中華民国外交部(98年10月31日)
南太平洋のトンガ王国政府は十月三十一日、中華民国と断交し中国大陸と国交を結ぶことを正式に表明した。同国は今年に入ってから南アフリカ、中央アフリカ、ギニアビサウにつづき、四番目の断交国となり、これによって中華民国と国交のある国は二十六カ国となった。これについて外交部は同日、以下の声明を発表した。
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中華民国政府はここに謹んで本年十一月二日よりトンガ王国との外交関係を終結し、同時に中華民国とトンガ王国との各種協定および協力関係を中止するとともに、駐トンガ王国大使を召還することを声明する。 中華民国は一九七二年四月にトンガ王国と正式に外交関係を締結し、七五年六月にトンガ王国の首都ヌクアロファに大使館を開設して駐在員を派遣し、七七年に大使を派遣し、さらにまた農業技術団派遣など各種の援助をおこない、さまざまな方法でトンガ王国を支援し、わが方のトンガ王国国民への友好を十分に示してきた。
一九九七年七月、ツポウ四世トンガ国王が中国大陸を訪問し、トンガ王国政府は信義を顧みず、中共の誘惑に屈服し、中共との全面的な関係推進を決定して以来、わが国はツポウ四世国王に昨年七月に八度目の中華民国訪問を招請し、本年七月にも国王は九度目の訪華をし、また本年十月にもピルリフ皇太子の中華民国再訪を招請し、再三にわたって説得した。回復への効果がなくなってより、中華民国政府は国家主権の立場から、トンガ王国政府の意図と措置は、中華民国の国家利益に重大な損失を与えるものであると認識し、上述の措置をとり、もって政府の厳正な立場を表明するものである。
近年来、われわれは百数回にわたって中共に両岸協議の再開を呼びかけ、最近では辜汪会見を前に平和的な雰囲気を醸成するために軍事演習を取りやめ、もって相互利益と互恵互助による双方納得しうる状況の創造を期待した。だが中共は硬軟両用策略を継続し、国際社会に対してはわが方と平和交渉を進める姿勢を偽装するとともに、もう一方では国際間において本来の姿勢をさらに強化し、わが国の生存の場を圧迫し、脅迫と利益誘導の手段をもってわが国と友好国との外交関係を破壊しようとしてきた。すなわちトンガ王国がその一例である。
大陸の唐樹備・海峡両岸関係協会副会長は十月十五日、西暦二〇〇〇年までにわが国との友好国を奪いつくすという考えを否定したが、わが方の辜振甫・海峡交流基金会理事長が十月十四日に大陸を訪問する前から積極的に動き、同十九日に訪問の日程を終えて帰国してより一週間も経ない内に、わが国の友好国であるトンガ王国との国交樹立を策謀していたことは、中共の言行不一致を示し、関係改善への善意も誠意もなかったことを明示するものである。
中華民国政府と国民は、今後ともさらに強固な決意と実務的な姿勢をもって、わが国の生存と発展に必要な国際活動の場の開拓を継続してゆく。
(完)
対トンガ断交と中華民国政府の立場
中華民国外交部(98年10月31日)
南太平洋のトンガ王国政府は十月三十一日、中華民国と断交し中国大陸と国交を結ぶことを正式に表明した。同国は今年に入ってから南アフリカ、中央アフリカ、ギニアビサウにつづき、四番目の断交国となり、これによって中華民国と国交のある国は二十六カ国となった。これについて外交部は同日、以下の声明を発表した。
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中華民国政府はここに謹んで本年十一月二日よりトンガ王国との外交関係を終結し、同時に中華民国とトンガ王国との各種協定および協力関係を中止するとともに、駐トンガ王国大使を召還することを声明する。 中華民国は一九七二年四月にトンガ王国と正式に外交関係を締結し、七五年六月にトンガ王国の首都ヌクアロファに大使館を開設して駐在員を派遣し、七七年に大使を派遣し、さらにまた農業技術団派遣など各種の援助をおこない、さまざまな方法でトンガ王国を支援し、わが方のトンガ王国国民への友好を十分に示してきた。
一九九七年七月、ツポウ四世トンガ国王が中国大陸を訪問し、トンガ王国政府は信義を顧みず、中共の誘惑に屈服し、中共との全面的な関係推進を決定して以来、わが国はツポウ四世国王に昨年七月に八度目の中華民国訪問を招請し、本年七月にも国王は九度目の訪華をし、また本年十月にもピルリフ皇太子の中華民国再訪を招請し、再三にわたって説得した。回復への効果がなくなってより、中華民国政府は国家主権の立場から、トンガ王国政府の意図と措置は、中華民国の国家利益に重大な損失を与えるものであると認識し、上述の措置をとり、もって政府の厳正な立場を表明するものである。
近年来、われわれは百数回にわたって中共に両岸協議の再開を呼びかけ、最近では辜汪会見を前に平和的な雰囲気を醸成するために軍事演習を取りやめ、もって相互利益と互恵互助による双方納得しうる状況の創造を期待した。だが中共は硬軟両用策略を継続し、国際社会に対してはわが方と平和交渉を進める姿勢を偽装するとともに、もう一方では国際間において本来の姿勢をさらに強化し、わが国の生存の場を圧迫し、脅迫と利益誘導の手段をもってわが国と友好国との外交関係を破壊しようとしてきた。すなわちトンガ王国がその一例である。
大陸の唐樹備・海峡両岸関係協会副会長は十月十五日、西暦二〇〇〇年までにわが国との友好国を奪いつくすという考えを否定したが、わが方の辜振甫・海峡交流基金会理事長が十月十四日に大陸を訪問する前から積極的に動き、同十九日に訪問の日程を終えて帰国してより一週間も経ない内に、わが国の友好国であるトンガ王国との国交樹立を策謀していたことは、中共の言行不一致を示し、関係改善への善意も誠意もなかったことを明示するものである。
中華民国政府と国民は、今後ともさらに強固な決意と実務的な姿勢をもって、わが国の生存と発展に必要な国際活動の場の開拓を継続してゆく。
(完)
トンガ断交他への影響なし
南太平洋友好三カ国は安定
張金鈎・外交部アジア太平洋司長(局長)は十月三十一日、記者会見し「外交部はトンガとの断交を深刻に受けとめているが、他の南太平洋地域の友好国であるソロモン諸島、ツバル、バヌアツとわが国との友好関係は強固であり、トンガとの断交によるいわゆるドミノ現象は発生しない」と表明した。
さらに張金鈎司長は、記者団に友好三カ国の状況を分析し、「ソロモン諸島は今年十二月の国会休会中に複数の閣僚がわが国を訪問することになっている。また今年の南太平洋フォーラムの会期中、わが国とナウルは農業と漁業の協力について具体的な協議を進め、ツバルとは大使館の開設と人員の派遣がすでに決定している」と語り、友好関係が強化されていることを説明した。
《台北『中国時報』11月1日》
海基会大陸訪問団に関する総合報告
張京育・陸委会主任委(98年10月26日)
行政院の張京育・大陸委員会主任委員は十月二十六日、立法院内政、外交、経済、交通委員会において、辜振甫・海峡交流基金会理事長を団長とする大陸訪問団一行の成果について以下の総合的報告をおこなった。
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大陸訪問への経緯
辜振甫・海基会理事長を団長とする大陸訪問団一行は十月十九日、六日間の日程を終え帰国した。われわれは、一行の努力と終始堂々とした姿勢を貫徹したことを高く評価する。
一九九五年六月、大陸側は一方的に両岸の定期協議と交渉のパイプを中断した。三年余にわたって政府は「和を以て貴しとなす」の精神により「交流強化」と「実務協議」を両岸関係推進の基本原則としてきた。一方、われわれは両岸の各種民間交流の促進を継続し、交流の発展と関係の緩和を求めてきた。同時に、政府上層部が百数回にわたり、大陸側に協議再開に応じるよう公開の場で呼びかけた。
こうした行為は、わが方が積極的に双方の連携再構築を望んでいる誠意と努力を示すものである。大陸側はようやく本年初頭になって前向きに応じ、両岸両会(海峡交流基金会と海峡両岸関係協会)の副秘書長、秘書長クラスの連携と意思疎通に意欲を示し、そして辜振甫海基会理事長を団長とする一行が大陸を訪問するところとなった。双方の接触再開に示したわれわれの努力と一貫した合理的かつ強固な姿勢が、良好な相互連動による両岸関係再開の重要な要素となったことは否定できないところである。
権限委託の原則と目標
行政院大陸委員会は、大陸政策の基本的立場と原則の保持を辜振甫理事長を団長とする海基会大陸訪問団に委任し、一行は十月十四日から十九日まで大陸を訪問した。われわれがそこに設定した目標は、「両岸両会の一般業務的交流の推進、定期交渉の回復、両岸の良好な雰囲気の醸成、両岸関係の改善」であり、さらに希望として「わが方の基本的立場を明確にし、台湾経験を推し広め、大陸の民主化を促進」するところにあった。
これはわが政府が権限を委託している機関の最高指導者による最初の大陸訪問であり、辜理事長および全団員はこれにより、大陸側上層部と直接会見して意見を交換し、明確にわが方の立場を表明し、民主化の成果ならびに「台湾経験」を明示し、さらに定期協議の再開を提議し、将来の両岸協力の具体的提議もおこなった。このことは、両岸の意思疎通の再構築、両岸の建設的な対話開始、重要な基礎の強化という、わが方の所期の構想が達成されたものと的確に評価できるものである。
共通認識と相違点
今回の辜理事長を団長とする一行の大陸訪問は、一部の参観を除き、大部分が汪道涵、陳雲林、銭其シン、江沢民ら大陸側上層部との会見に当てられ、直接対話と意思疎通を通してわが方の既定の観点と立場を表明し、同時に今後の両会の相互連動に数項目の共通認識を得た。これらの直接対話と意思疎通の過程は、両岸の相互理解の増進に有益となり、将来の両岸関係の安定した発展に大きな意義を有するものとなった。
この「辜汪会見」によって両会が得た共通認識とは、対話の強化、定期協議の再開促進、両岸両会各レベルの相互訪問推進、交流より派生した諸問題処理の相互協力、汪道涵氏の適切な時期の訪台などである。われわれは両岸両会が達成したこれら共通認識を歓迎するとともに、大陸側が両岸両会の交流と対話の強化に意欲を示したことに注目し、両岸定期協議の再開を現段階における努力目標として設定する。われわれはこうした実務的な方法を評価し、さらにこれを基礎に誠意と善意を前面に、多くの対話を通じ、両岸両会の相互連動が正常化し、両岸関係の安定した長期的な発展のため、共同で努力することを望むものである。
今回の意見交換の過程で避けられなかったのは、相違点の存在と、わが方の善意の建議にまだ回答が得られなかった部分のある点であった。訪問団と大陸側との直接会見において、われわれは大陸当局の硬直した非実務的な対台政策に変化のないことを知った。たとえば双方は「一つの中国」と両岸分治、外交活動の場などの問題について、やはり異なる主張をした。訪問団はこのなかで、一般民衆の利益に関する事項を優先的に協議し、両岸の草の根的民主交流を促進し、農業協力を推進し、両岸の実務面での相互協力強化など、明確に具体的な建議をしたが、残念ながらこれら建設的な提議に、大陸側は直接的な回答を示さなかった。われわれはこれを深く遺憾に感じているが、両岸が早い時期にこれら深い意義のある問題に共通認識を得るよう、今後とも努力を継続する。
成果と初期的評価
辜振甫理事長一行への評価。
明確にわが方の立場を表明:辜振甫理事長と各メンバーは大陸訪問の期間中、明確に大陸側指導者に対し、われわれが平和と安定を求め、両岸の相互利益となる政策を推進しており、ならびにわが方が分治の現実を尊重し、国際活動の場を追求する強い意志を持ち、さらにわれわれが建設的な対話推進と両岸定期交渉の再開を強く望み、また大陸の民主化と地域的な問題の将来における共同解決に強い希望を持っていることを伝達した。総体的に言えば、訪問団一行は明確に大陸側にわれわれの現段階における政策の内容と方途を表明し、所期の目標を達成した。
両岸の建設的対話を開く:訪問団一行と大陸側各指導者との会見において、われわれは大陸側がまだ若干の問題に硬直した非実務的な認識と立場を持っており、またそこに変化あるいは緩和のきざしのないことを確認し、したがって両岸による直接的でかつ建設性のある対話推進の必要性を、より深く認識した。そうした対話を通じてこそ、実務面の問題を論じあい、対立点を氷解させることができるのであり、また対話によってこそ民衆の権利に関する諸問題を早期に解決することもできるのである。辜理事長とその一行は、すでに両岸の建設的な対話への道を開いたが、われわれは今後こうした形式による対話を保持し、いかなる外的な要素による影響も受けないことを望むものである。
国際理解を増進:辜理事長の大陸訪問は、国際間での深い重視と注目を受けた。連日国際メディアが政府の声明を取材し、国際社会は辜理事長の大陸訪問が両岸対話を開いたことを等しく評価した。国際社会はもとより、両岸間の各種の異なる意見が今回の訪問によって解決できるとは見ていなかったが、この訪問は、国際社会が両岸関係に対して抱いている平和的対話の推進という普遍的な期待と合致するものであり、これが国際世論が辜理事長の「融氷の旅」に評価を与える主要な要素となっている。また、わが訪問団がその期間中、明確に既定の政策と立場を表明したことは、国際メディアが両岸関係発展の病根がどこにあるかを理解するのに有益となった。われわれは、わが方の積極性と善意および提議のすべてが、国際間の普遍的な価値観と合致する合理的なものであり、今後国際間での反応を呼ぶものと確信している。
定期協議再開の条件構築:蕭万長行政院長は本年初頭、「第二回辜汪会談」を出発点とする政策を表明し、われわれが両岸定期協議の再開を望み、それを努力目標にしていることを明らかにした。辜理事長の大陸訪問は両岸両会の将来における相互連動の指標となるものであり、定期協議再開の基礎を構築した。両岸両会が今後の交流強化について達成した共通認識のなかに、定期協議回復への努力の一項がある。われわれは、両会が各レベルによる対話と連携を進め、両岸定期協議再開の日程に対し、具体的な計画を立て、準備することを求めるものである。
以上だが、これより両岸間のいかなる相互連動においても、民意代表機関、マスコミ、ならびに国民全体の一致した支持が必要であり、行政院大陸委員会は今後、各界との意思疎通を強化し、最大限の共通認識を得て、わが方が推進する両岸関係の良好な発展のための後ろ盾となるだろう。
(完)
国連参加に関する総合的戦略の検討 ㊤
胡志強・外交部長(1998年10月14日)
中華民国政府は、一九七一年に国連から脱退したが、そのあと中共の妨げや圧迫により、国際社会での活動が制限された。しかし、政府は引き続き経済建設や政治の民主化に尽力するとともに、国際社会においても二国間、多国間関係の推進に力を注いできた。一九九一年六月、立法院が「政府が適当な時期に、ふたたび中華民国の名義で国連に復帰することを提言する案」を可決したことを受けて、外交部はすぐに対策作りに着手し、関連する各種活動についても引き続き積極的な推進を図ってきた。
以下は、政府の国連参加に関する政策的考察と戦略、および今年の推進状況の検討、将来の展望について、立法院第三回第六期外交・僑政委員会において胡志強・外交部長が述べた全文である。
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一、国連参加の全体政策の考察 客観的事実に基づき、基本的権利を獲得する
①国連は一九四五年に設立されたが、中華民国はその設立準備から参画し、二十六年にわたり、国連の忠実な加盟国として尽くしてきた。しかし、一九七一年国連総会において、第二七五八号決議案が可決されたため、中共政権が国連に加入することになった。ただし、この決議は大陸地区における中国人の国連での代表権問題を解決はしたが、逆に台湾地区の二千一百八十万住民の国連における基本的権利を剥奪することになった。特に、九〇年代の国際情勢の根本的な変化の後では、この決議はすでに時期遅れと言えるだけでなく、国際間の公平な正義の原則にも違反していると言わざるを得ない。
②ここ数年来の台湾の経済貿易に見る急速な成長と、民主政治の安定した発展は、ともに国際社会で注目されており、台湾住民の国連参加への意欲も日増しに高まっている。しかし、われわれは今もっとも重要な国際組織である国連から依然として排斥され続けており、台湾の国際的地位はいまだ評価を受けていない。一九九一年五月、政府は正式に「動員戡乱(反乱平定)時期」の終結を宣言し、台湾海峡を挟んで、二つの対等な政治実体が並存することを受け入れ、両岸はそれぞれ別の領域を管轄し、国際社会で別々の対外関係を持ちつづけるべきであるとした。この両岸政治についての再定義は、台湾が積極的に国連参加を勝ち取るための法的な基礎となるだろう。
③国連への参加は、台湾の国際的地位を改めて確立することになるものであって、積極的に国際社会に参加する苦難の過程には、徐々にでも有利な情勢を築く必要がある。各々の客観的な条件が揃った時、その目的は達成される。そのためには長期にわたる努力が必要で、そこには決まったスケジュールというものは存在しない。外交部は現在、国際社会が台湾の国連参加を重視し支持するよう尽力している段階であり、国連内部に台湾に対する友好ムードを醸成し、われわれの助けとなる力を蓄積することを重点として活動している。われわれは、先に立場を設けず、中共の国連での現有議席に挑戦せず、中国の将来の統一を排除しないという三原則のもとに、われわれ中国は一九四九年からずっと分治状態にあり、中華民国政府は台湾・澎湖・金門・馬祖地域において絶対排他的な管轄権を有しており、民主政治をおこない、これらの地域住民の合法的な代表であることを主張しているのである。
中共は、大陸に政権を樹立してすでに五十年近くになるが、その統治権はいまだかつて台湾・澎湖・金門・馬祖地域に及んだことはなく、国際社会で台湾地区二千一百八十万人の住民を代表する権利はもとよりない。国連加盟国は普遍化の原則と旧東西ドイツ、および北朝鮮と韓国の国連での同時平等参加が、国家統一を追求する際の妨げになっていないという先例に基づき、前述の第二七五八号決議がすでに時代の趨勢に合わず、現実離れしていること、および正義の原則に合致していないことについてあらためて検討し、台湾・澎湖・金門・馬祖地域の住民の基本的権利が国連と国際社会において保護され尊重されるような、もっと納得のいく解決方法を模索するべきである。
二、推進戦略の選択は柔軟に、実務的に、安定的に
国連憲章に定める規定と当組織の慣例に基づいて、われわれが国連に参加する方法は以下の三つが考えられる。
①国連加盟国となる申請:国連憲章第四条第一項は、すべての平和を愛する国家は、同憲章が記載する義務を喜んで受け入れ、その義務を喜んで履行できると国連が認めた場合においてのみ、国連の会員国となることができると規定している。客観的な条件から見て、わが国は国連加盟国となるすべての要件を満たしている。しかしその過程で、参加申請案は安全保障理事会による総会への推薦が必要であるだけでなく、総会において加盟国投票総数の三分の二以上の同意を得なければならず、この二点を克服してはじめて国連への参加が承認される。
しかし、安全保障理事会は参加申請案に対する推薦で理事国九か国の支持を必要としており、また中共を含む常任理事国の反対がないこととなっている。
②国連総会で可決された第二七五八号決議中の、台湾を排除するという部分を排除する:この過程とは、加盟国が国連総会に提案し、総務委員会がこの案を総会議題として加えるかどうか、および総会か委員会のどちらで先に議論すべきかについて検討し、そのあと最終的な決定がなされる。このため、総務委員会メンバーの出席と投票の過半数の支持を得ることがこの方法においては優先条件となる。
また、いったんこの案がスムーズに総会議題に加えられても、全体会議での多数決において、おそらく重要事項として三分の二以上の支持を得なければならないだろう。もしこれが達成されれば、第二七五八決議中のわれわれを排除する部分が排除され、われわれの国連参加と活動の権利を回復することができる。
③オブザーバーとしての申請:さきに国連のオブザーバーとしての資格を取得し、時期を見て、ふたたび加盟国となる申請をする。これは、過去においていくつかの国が採った方法である。国連憲章と総会議事規則には、国連オブザーバーの資格と手続きについての明文化された規定はなく、慣例として国連事務総長の職責に属しているが、事務総長がこの決定をおこなう時には、申請国が国連のいずれかの専門機関の会員であるかどうか、また普遍的に承認され得るものかどうかを考慮することが必要とされている。この点から、当該国の地位に問題があった場合、事務総長は後回しにするか、あるいは総会での議題として提案するかどちらかを採ることになる。こうなると、この方法を採ることによる困難は、前述二つの方法とそう変わらないだろう。
前述した三つの方法において、最初から加盟国となる申請をする方法では、中共が安全保障理事会で拒否権を行使しないことのほかに、基本的に過半数の国連加盟国の支持を得ることが必要となる。われわれが国連を脱退してすでに二十年が経過しており、一九九〇年初期のもろもろの国際環境を考えると、現在の国際社会はわれわれが国連に参加したり脱退したりした時代背景に詳しくないと思われ、さらに多くの国連の加盟国が中共と国交を結んでいることや、中共が依然として台湾併合を諦めず、われわれの実務外交を極力圧迫し続けていることを考えると、われわれの国連参加への客観的条件は必ずしも理想とは言えない状況である。
しかし、われわれは中共がわれわれの活動を圧迫、阻止するという理由でわれわれの当然の権利を放棄することは決してない。われわれはまず国際社会に対して、われわれの置かれている状況についての理解と支持を訴え、徐々に多くの国がわれわれを支持してくれるように尽力し、国連参加への推進を図ってゆきたいと考えている。
(以下次号)
台湾の歩んだ道・政治編 ④
「静かなる革命」はどのように達成したか
三、民主の飛躍期(続)
六、憲政改革の推進(続)
一九九一年十二月二十一日、政府は第一段階の憲法修正によって追加された条文を根拠に、第二期国民大会代表選挙を挙行し、新たな国民大会が成立してから、九二年三月二十日に第二期国民大会臨時会議を召集し、五月二十七日に新たに八カ条の憲法条文追加を採択した。これが第二段階の憲法修正である。
この第二段階の憲法修正には五つの成果があった。その一は総統を民選とし、総統の任期を六年から四年に改めたことである。その二は国民大会、立法院、考試院、監察院の職務権限に調整を加えたことである。その三は監察院を準司法機関となし、民選であった監察委員を総統の指名によって国民大会の同意を経て任命することとし、政治関連の影響を受けずに監察権が行使できるようにしたことである。その四は立法院に地方自治法と地方自治組織法制定の権限を付与し、地方自治の促進を加速したことである。その五は基本国策の規定を補充し、婦女子、身障者、先住民および金門・馬祖地区住民など社会的弱者の権利保護を憲法で定め、華僑など国外居住国民の政治参加権を憲法によって保障したことである。
第二段階における憲法修正の特色は、第一段階での成果をさらに拡大したところにある。たとえば、選挙民の選挙権行使の対象を国会から総統にまで高め、行政構造調整の範囲を五院の段階にまで高め、地方自治の法制化に法的根拠を与え、同時に社会的弱者保護の責任を憲法によって政府にあると明確に定めたことなどである。
第三段階の憲法修正は一九九四年から開始された。ここでの主な成果は、一に国民大会正副議長を設け、国民大会を常設機関とし、二に正副総統の選挙民直選の決定により、その選挙の方式を定めたこと、三に行政院長の署名権(同意権)を整理し、その合理化を図ったこと、四に華僑の総統選挙参加権を保障したことなどである。
中央政府構造を健全化し、行政効率を高めるため、一九九七年にふたたび憲法を修正した。このときの修正では、前回追加された十カ条が十一カ条に改められた。このなかで最も重要なのは、立法院の行政院長に対する任命同意権を取り消し、総統の立法院に対する解散権と、立法院の行政院長に対する「不信任」による倒閣権を追加したことである。このほか、台湾省長と省議会議員選挙を停止し、省政府の組織と権限を簡素化するなど、行政構造の簡素化を決定した。
総じて言えば、四段階にわたる憲法修正は、まだ継続して検討を加えねばならない部分もあるが、憲政改革は確実に行政構造の制度化を進め、民主政治の安定と発展に大きく寄与するものとなった。
台湾の政治改革推進表
'86年3月29日
国民党第十二期三中全会開き、政治改革のコンセンサス得る。
'86年4月9日
国民党中常会に十二人小組成立し、「戒厳令解除」、「政党結社の開放」、 「国会改革」、「地方自治法制化」、 「社会治安」、「党の革新」など六項目の検討推進。
'86年10月15日
国民党中常会「戒厳令解除」、「政党結社の開放」の二項目優先決議を決定。
'87年11月2日
政府、住民の大陸親族訪問を開放。
'87年6月23日
立法院「国家安全法」を通過。
'87年7月15日
政府、戒厳令解除を正式に宣言。
'88年1月1日
政府、新聞発行解禁を宣言。
'88年1月11日
立法院「集会デモ法」を通過。
'88年2月3日
国民党中常会「第一期中央民意代表退職弁法」四原則を通過。
'88年7月7日
国民党第十三回全国代表大会召集、「現段階大陸政策案」など五項目を通過。
'89年1月20日
立法院「人民団体法」通過。
'89年1月26日
立法院「選挙法修正案」、「第一期中央民意代表退職条例」通過。
'90年4月18日
国民党中常会「第一期中央民意代表三段階退職弁法」通過。
'90年5月20日
李登輝第八代総統就任、就任演説で政治改革の日程示し、①早急に動員戡乱時期終結を法によって宣言、②二年以内に憲法修正し中央民意代表構造、地方自治と行政構造問題解決などを含む。
'91年5月1日
動員戡乱時期を終結。
'91年12月21日
第二期国民大会代表選挙、国民党 得票率72%、議席獲得率79%、民進党得票率24%、議席獲得率19%。
'92年3~5月
国民大会第二段階憲法修正で総統民選、総統と国民大会代表任期四年、国民大会と監察院の職権調整、監察院の準司法機関化、および国民大会へ総統の指名する監察・考試・司法院の人事への同意権付与などを決定。
'92年12月19日
第二期立法委員全面改選。
'93年8月18日
国民党第十四回全国代表大会で李登輝主席続投決定。
'94年12月3日
台湾省長、台北・高雄両市長直接選挙実施、国民党台湾省と高雄市で勝利、民進党台北市で勝利。
'95年8月
李登輝主席党内選挙で第九代総統選挙候補に決定、林洋港副主席個人推薦方式による立候補表明。
'95年12月2日
第三期立法委員選挙、国民党八十五議席、民進党五十四議席、新党二十一議席、無所属四議席獲得、「三党とも過半数達せず」の状況回避。
'96年3月23日
第一回正副総統直接選挙、国民党公認李登輝・連戦候補得票率54%獲得し当選。
(以下次号)
大陸旅客機ハイジャック事件
中華民国は法律に基づき厳重に処罰
北京発昆明(雲南省)行きの中国国際航空旅客機が十月二十八日午前、機長の袁斌に乗っ取られ、台北の中正国際空港に着陸した事件に関して、行政院新聞局は同日声明を発表し、「犯人の身分や動機に関わらず、ハイジャックはすべて重大な犯罪行為であり、中華民国政府は法に基づき迅速に厳しく処罰する」と表明した。
事件発生時、蕭万長・行政院長は台中に向かう飛行機の中にいた。台中到着後この知らせを受けた蕭院長は、ただちに電話で劉兆玄・副院長、黄主文・内政部長らに過去の例に倣って処理するよう指示するとともに、とくに乗客の安全確保を強調した。
これを受けて、内政部、交通部、法務部、大陸委員会など関連機関の幹部による「危機処理応変小組」が翌二十九日に緊急会議を開き、国際慣例に基づき、従来の原則(犯人を拘束し、その後機体を大陸に送り返す)により処理することを決定し、旅客機は同日午後六時すぎに中正国際空港を離陸し、大陸に向かった。
この事件に関して、許恵祐・海峡交流基金会副理事長は十月二十八日、「われわれが法律および従来の原則に基づいて処理すれば、両岸双方が満足できるだろう」と語り、さらに「両岸は三年前にハイジャック犯の引き渡しについて基本的合意に達した。まだ正式に調印はされていないが、これまでに同様の事件が十数件起こっており、処理モデルは確立されている」と指摘した。
また、黄麗卿・国民党文化工作委員会主任は、「犯人が台湾の民主と平等な社会に憧れる気持ちは理解できるが、飛行機や乗客の安全を守るという立場からは、こうした不当な手段を決して許すわけにはいかない」と表明するとともに、「犯人の引き渡しやハイジャック防止について、両岸が一日も早く協議すべきだ」と強調明した。
台北刑務所の十月二十八日の発表によると、一九九三年から九四年にかけて、大陸から台湾へのハイジャック事件が連続して十二件発生し、犯人十六名が逮捕され、それぞれ六年から十三年の実刑判決を受けた。このうち八名が現在も服役中であるが、最近、二名(韓書学と李向誉)の仮釈放が認められ、近く「大陸地区住民新竹処理センター」に送られ保護監督されることになっている。同センターには現在六名のハイジャック犯が収容されている。
これまで仮釈放されて同センターに収容された八名のうち、二名(黄樹剛と韓鳳英)は昨年七月、すでに大陸に送り返されたが、彼らの現在の状況は明らかになっていない。海峡交流基金会は、大陸の海峡両岸関係協会に何度も彼らの審理状況を問い合わせたが返答はなく、このため、台湾側は他のハイジャック犯の大陸送還を一時見合わせている。
●大陸から台湾のハイジャック事件(事件発生日・犯人名・量刑・執行状況の順)
(88・5・12)張国慶、龍貴雲 3年6カ月 居留権を得て台湾在住
(93・4・6)劉保才、黄樹剛 7年黄は大陸送還、劉はセンター収容中
(93・6・24)張文龍 9年 服役中
(93・8・10)師月坡 9年 センター収容中
(93・9・30)楊明徳、韓鳳英 楊9年、韓6年 楊はセンター収容中、韓は大陸送還
(93・11・5)張海 10年 服役中
(93・11・8)王志華 10年 センター収容中
(93・11・12)韓書学、李向誉 韓11年、李13年 ともに服役中
(93・12・8)高軍 10年 服役中
(93・12・12)祁大全 12年 服役中
(94・2・18)林文強 9年 服役中
(94・6・8)鄒維強 12年 服役中
《台北『自由時報』10月29日他》
観客を魅了した華麗な台湾京劇
辜振甫氏、京劇で念願の日本公演
十月中旬に大陸を訪問し、五年半ぶりに両岸民間窓口のトップ会見を実現して世界の注目を集めた海峡交流基金会の辜振甫理事長が、このたび自らが主宰する京劇団を率いて来日し、初の日本公演を果たした。公演は十一月二日から四日まで東京・有楽町の東京国際フォーラムでおこなわれ、『三国志』や『水滸伝』から日本でもおなじみの場面が演じられた。辜振甫氏自身も特別出演し、『三国志』の蜀の軍師、諸葛孔明などを熱演、八十一歳とは思えない見事なノドを披露した。
今回の公演は、昨九七年九月に市村羽左衛門さんらが台湾で歌舞伎公演をおこなった際、台湾から京劇を招く話が持ち上がり、日本の財界人の肝入りで実現したもの。台湾の京劇団の本格的な日本公演は今回が初めてであり、民間窓口トップとして大陸訪問の大役を果たしたばかりの辜氏自身が出演するとあって、日本のマスコミからも大きな注目を集めた。三日間、客席はほぼ満席で、観客は、辜氏の円熟の「孔明」や現代京劇の第一人者、李宝春氏の華麗な立ち回りに魅了された。今回の公演には、台湾からの留学生を支援するというチャリティ目的もあり、チケットの売上はすべて寄付されるという。公演に合わせ、銀座の和光ホールでは「京劇の美」と題した展覧会が開かれ、普段間近で目にする機会のない京劇の衣装や小道具が展示され、隈取りの実演もおこなわれた。
●京劇との深いつながり
辜振甫氏と京劇のつながりは深い。父親の辜顕栄氏(日本統治時代は貴族院議員)が戦前、「台北新舞台」という劇場を所有していたことから、辜振甫氏は子供の頃から京劇に親しみ、一九五〇年代に香港に駐在していた時には、大陸から香港に逃れてきた有名な京劇俳優から本格的に教えを受けた。財界活動などのためしばらく京劇から離れていた時期もあったが、喜寿になったのを機に健康維持のために稽古を再開し、八十一歳の今も毎週の稽古を欠かさないという。このため、辜氏が理事長を務める「辜公亮文教基金会」(「公亮」は辜振甫氏の字)は中心事業の一つとして京劇の振興を掲げている。
辜顕栄氏の「新舞台」は第二次世界大戦末期の空襲で焼失したが、一九九七年に中国信託商業銀行(辜氏が名誉会長を務める「和信集団」の中核企業)本店新社屋内に、新たな「新舞台」ホールが完成し、同時に「台北新舞台京劇団」が結成された。同劇団の花形で、今回も来日した李宝春氏は大陸で一世を風靡した名優、李少春氏の息子である。李少春氏は、伝説的名女形、梅蘭芳と並び称される名優だったが、文化大革命で迫害を受け、息子の李宝春氏とともに農村に下放され家族で辛酸をなめた。李宝春氏はのちに米国にわたり活躍していたところを辜振甫氏の目に止まり、ぜひにと請われて台北新舞台京劇団に参加した。同劇団は、台湾だけでなく世界各地で公演をおこない好評を博している。
●日本へのメッセージこめる?
今回の公演は、辜振甫氏の大陸訪問の直後におこなわれ、また江沢民の訪日が今月末に予定されていることに加え、辜氏が演じるのが『三国志』の策士、諸葛孔明とあって、日本のマスコミの間では「両岸交渉あるいは日本に対する何らかのメッセージが込められているのでは」といった憶測も流れている。
真相はどうであれ、経済人としてだけでなく李登輝総統のブレーンとして公職を歴任し、八十歳を過ぎてなお、両岸交流窓口のトップの大任を果たしつつ、さらに京劇俳優として舞台に立つ辜氏の懐の深さに、台湾の底力をかいま見るような気がした。
《取材:本誌編集部・玉置》
第十一回東京国際映画祭開催
台湾から萬仁の『超級公民』が参加
アジア最大のコンペティション部門を持つ国際映画祭として知られる「東京国際映画祭」が十月三十一日から十一月八日まで開催された。十一回目となる今年は、世界四十五カ国から五百十三本の応募があり、台湾の萬仁監督の『超級公民』を含む十七本がコンペティション参加作品に選ばれた。
萬仁監督は一九五〇年生まれ。台北の大学を卒業した後、米コロンビア大学に留学し、映画製作を学んだ。一九八三年、台湾ニューシネマの幕開けを告げたといわれるオムニバス映画『坊やの人形』の第三話「りんごの味」を担当。その後も、台湾の社会を鋭く描いた作品を精力的に発表している。白色テロを取り上げた『超級大国民』(95)は、東京国際映画祭を始め世界中の映画祭から招待を受け、台湾における最も重要な監督の一人という評価を得ている。今回の『超級公民』でも、台湾の政治運動と先住民問題をからめて「生と死」というテーマを幻想的なタッチで描き、見る人に深く語りかける作品に仕上げている。
主人公のアドゥ(蔡振南)は個人タクシーの運転手。生きる意味を見失い、うつろな魂の抜けがらのような彼は、ある夜、なにやらおびえた様子の若い男をタクシーに乗せる。この若い男マァルウ(張震嶽)は、台湾の先住民族のパイワン族出身で、実は人を殺し逃亡中の身であった。この偶然の出会いがアドゥの人生を変えることになる。死刑になったマァルウの幽霊が、アドゥにつきまとうようになったのだ。最初はとまどったアドゥだが、しだいにマァルウの存在を受け入れ、いつしか心を通わすようになる。そうした中、しだいにアドゥの過去が明らかになる。かつては政治運動の闘士だったが、同じ活動家の妻との間にできた一粒種の息子を事故で失ってこと。その後無気力になった彼から妻が去って行ったこと。そしてアドゥは、「人殺しの悪霊だから、部族の村に帰りたくても帰れない」と嘆くマァルウの魂を村に返すために、ある決断をするのだった。
この作品で特筆すべきは音楽の素晴らしさだろう。せつないチェロの音色が美しいテーマ曲は、監督によると、バッハの曲をベースに十七、十八世紀のイタリア歌曲などをミックスして編曲したものだという。このほか、マァルウが歌う勇者の歌や彼の祖母が切々と歌う鎮魂歌などパイワン族の歌が挿入され、この作品をさらに印象深いものにしている。 映画祭最終日の十一月八日、閉幕式において各受賞作が発表され、グランプリにはスペインのアメナーバル監督の『オープン・ユア・アイズ』が選ばれた。『超級公民』は、惜しくも受賞は逃したものの、映画評論誌『キネマ詢報』では「今年のコンペティション部門のベスト3に入る傑作」と高く評価された。
●十一月四日の上映後の監督とのティーチ・イン
問:『超級公民』という題名と内容との関連が今ひとつわからなかったのだが。
答:私は映画を作る時、台湾の社会とその変化を描きたいと思っている。これまで「超級」と付く映画 を三本製作したが、最初の『超級市民』では皮肉をこめて「超級」という題を付けた。実は、今回の『超級公民』には、「個人タクシーの運転手」といった題が付いていたが、結局これまでの二作に合わせて『超級公民』とした。
問:アドゥの部屋の時計が六時五分という中途半端な時間で止まっていたのは何を象徴しているのか。
答:アドゥの死に対する思いは、祖父の死から始まっている。祖父の死は六時五分であり、この時間は彼にとっての死を象徴している。
問:チェロによるテーマ曲がとても印象的だったが。
答:シンプルな音楽によって主人公の感情、孤独やむなしさを表現しようと思った。もちろん飽きないように場面によってアレンジは加えている。
問:主人公の行動は現実逃避にも思えるのだが。
答:この作品は生と死をテーマにしたものだが、それとともに台湾の歴史、社会、政治の現状を描いたつもりだ。漢族と先住民の死生観は異なり、先住民には死後天国に行くという思想はなく、アドゥは「体はあるが魂はない」状態で、マァルウは「魂はあるが体はない」状態である。これを対比させたかった。
アドゥの行為に現実逃避がまったくないとは言えないが、東洋的な考えとして「死に対するあこがれ」のようなものもあると思う。この点は、日本人なら理解で きるのではないか。
《取材:本誌編集部》
交流の広場
さる十月三十一日、「新日台交流の会第二十回研究・懇親会」が日華資料センターで開催され、四十名近くの参加者が集まりました。
今回のメインゲストは、沖縄近代史研究家で浦添市民会館館長の又吉盛清さんです。[著書:『台湾 近い昔の旅(台湾編)』(凱風社)他]
地理的にも歴史的にも深いつながりを持つ沖縄と台湾の関係について、最近の観光や経済の交流から近代の重大事件まで、日本(本土)との関わりも含め、スライドを交えて分かりやすく解説していただきました。
講演のあとは、新宿の沖縄料理店に場所を移し、ゲストを囲んで、沖縄のおいしい料理を肴に台湾や沖縄の話題で大いに盛り上がりました。
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日華資料センターでは約二カ月に一回、土曜日の午後に「新日台交流の会」を開催しています。次回開催予定については、おって本誌でもご案内します。
問合せ 日華資料センター ℡03-3444-8724 Fax03-3444-8717
文化・芸能ミニ情報
RING台湾でMTV撮影
日本の人気音楽プロデューサー、小室哲哉氏が発掘、プロデュースしている台湾出身のRING(林楡涵)が、三曲目のシングル「PRIVATE PARADISE」(公開中の『始皇帝暗殺』のテーマソング)のMTV撮影を十月なかば台湾の九(人+分)などでおこなった。
撮影は、あいにくの台風による暴風雨の中おこなわれたが、現在中学生のRINGは、合間を縫って、テスト勉強に余念がなかったという。
《台北『中央日報』10月19日》
お 知 ら せ
「台湾の文化にふれよう」
栃木県宇都宮市で、台湾の文化や日本との交流について紹介する催しが開催されます。
日 時 11月29日(日)10時~15時
会 場 宇都宮市総合福祉センター(宇都宮市中央1-1-15 ℡028-634-2941)
内 容 ・「台湾料理を作ってみましょう」 10時~12時半 料理実習室
・講演「日華交流の現状について」 13時~15時 視聴覚室
[講師]朱文清氏(台北駐日経済文化代表処新聞広報部長)
定 員 先着50名
参加費 無料(資料代三百円)
申込先 028-635-0569 増田 028-621-0087 橋本
主 催 交流会仲間
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国際理解講座「台湾の生活と文化を知ろう」
埼玉県戸田市の「国際理解講座」で、台湾の生活や文化についてのお話しとともに琵琶の生演奏がおこなわれます。基本的には市民を対象とした催しですが、定員の状況によっては他市の方でも申し込みが可能です。会場までお問い合わせください。
日時 12月12日(土)13時半~15時半
会場 新曽公民館(戸田市新曽1395番地 ℡048-445-1811)
講師 楊桂香氏(台北駐日経済文化代表処文化部)
申込 定員30名。11月25日(水)午前9時より会場へ(電話可)
費用 無料
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「中華函授学校空中書院」についての補足と訂正
本誌1879号15頁でお知らせした僑務委員会「中華函授学校空中書院(ラジオ講座)」の受講生募集について、次の通り、補足・訂正いたします。
日本を対象とした来年度(第二十一期)の講義は、英語、広東語、台湾語のいづれかでおこなわれ、北京語による講義はありません。放送はすべて「台北国際の声」でおこなわれます。
(開講科目)
・華語会話(英語)
・中華歴史講話(広東語/台湾語)
・中華文化(広東語)
問合せ 台北駐日経済文化代表処僑務組 ℡03-3280-7820
春夏秋冬
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台湾の大陸側に対する民間窓口である海峡交流基金会の辜振甫理事長が、大陸訪問団の一行を率いて上海、北京を訪問し、大陸側の汪道涵・海峡両岸関係協会会長と意見の交換をし、さらに江沢民や銭其シンら北京側首脳部とも会見したことにより、台湾海峡両岸は雪解け段階に入ったと見る人々もいる。だが、現実はそんな生易しいものではない。その原因は那辺にあるのか。それは両岸双方の姿勢を見れば明らかだろう。
台湾における中華民国は、すでに一九九一年に李登輝総統が「動員戡乱(反乱平定)時期」の終結を宣言し、両岸問題での武力使用を放棄し、平和的解決を図ることを明確に宣言した。だが一方の北京は、九六年の総統直接選挙のとき台湾近海にミサイルを撃ち込んで選挙妨害を図ったことからも分かるように、常に衣の袖から武力をちらつかせ、いまだに武力放棄を宣言しないばかりか、ことあるごとに、その使用をほのめかしている。
また、その前の一九八七年には蒋経国総統が大陸への親族訪問を解禁し、以来今日まで、人口二千二百万弱の台湾において、延べ一千二百万人の住民が、親族訪問はむろん観光に商用にと大陸を訪問している。大陸を身近に感じているのである。朝鮮半島の場合はどうだろうか。板門店で会議を繰り返し、国連に同時加盟しながらも、韓国の国民が一人でも北へ気軽に観光旅行ができただろうか。つまり台湾は開放的なのだ。さらに、台湾から大陸へすでに累積二百七十億ドルの投資をしており、大陸経済発展の一翼を担なっている。
この台湾のオープンさに比べ、大陸側は前述のように武力使用をほのめかすばかりか、二〇〇〇年までに台湾との国交締結国をゼロにすると公言し、外交圧迫をいよいよ強めている。今回の辜汪会見にしても、台湾側が根気強く大陸側に呼びかけ、ようやく実現したものである。こうした台湾側の誠意と善意に対し、大陸側は威嚇と圧迫で応えているのである。これでは両岸の定期会談が再開されそうだといっても、胸襟を開いて席に着くことはできまい。
北京当局はこうであっても、それが大陸住民の意思だとは思えない。延べ一千二百万人の台湾住民が、大陸住民と草の根外交を展開し、経済的つながりも強化しているのである。したがって両岸が胸襟を開いてテーブルに着くには、辜振甫理事長が大陸側に明確に表明したように、まず北京が武力使用の放棄を公開の場で宣言し、そして民意を政治に十分反映できるように、大陸全体が民主化されなければならないのである。いまは、大陸のそうした変化を気長に待つ段階なのである。
(JC)